みなさん、こんにちは。

LifestyleDesign.Camp事務局の浅野です。


NZの旅から帰国して、もうすぐ3ヶ月が経ちます。

そこで改めて、皆さんに自己紹介をしておこうと思いました。

「なぜLifestyleDesign.Campに入会したのか?」とか、「どういう経緯で事務局になったのか?」とか質問されることが多かったのですが、これまでの自分の人生を振り返りつつ、そんなことを書いてみました。

本当はもっと伝えたいことあるのですが、それはまた別の機会にお話できれば幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願いいたします!!



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名古屋出身。シンプルな空間、一点物、カレーと愛犬ジョアンをこよなく愛する1973年生まれの47歳。


23歳の時、交際していた1歳年上の彼が10万人に1人という骨髄異形成症候群を発症、名古屋と横浜の遠距離恋愛を余儀なくされた。
その後2年間の闘病生活。私は「骨髄バンクを支援する愛知の会」でボランティアをしながら、彼と彼の家族を支え続けた。
そしてシアトルで骨髄採取したアメリカ人ドナーさんからの提供を受け骨髄移植する。
主治医からは5年生存率は20%と言われたが、私たちは移植3年後に結婚、横浜へ転居した。
幸い彼は職場復帰して、私は仕事に没頭。この頃ブラック会社に勤務していた私は、家事はほぼ放棄、精神的に常に彼に支えられていた。そんな家庭を犠牲にする自分に嫌気がさし、大手企業のゆとりある環境を求めて転職。新居に移り住み、夫婦と愛犬ジョアンの丁寧な暮らしをスタートして1年後、彼が突然入院。その2ヶ月後、骨髄移植から丸10年、彼はGVHD(移植片対宿主病)による閉塞性細気管支炎で他界した。私が35歳の時だった。


それから私はまた仕事に没頭した。彼を突然失った喪失感から自律神経を崩し、自炊せず外食ばかり。当時の私は1人暮らしには充分すぎる年収があったが長期休暇が取れない環境だったので、心を物で埋めようとした。浪費癖がつき、物質主義の贅沢三昧な暮らしをした。
「こんな暮らしができる私は幸せ。哀しみに暮れていてはいけない。」と、強引に哀しみから立ち直ろうとしたが、決して心は満たされなかった。仕事の時は笑顔、帰宅すると涙が出る毎日だった。仕事で成果を出しても自分に全く自信が持てず、プライベートは限られた人間関係だけになり、気付けば、組織とお金に依存して身動きが全く取れない状況に陥っていた。

しかし東北大震災を機に、こんな私のままで終わりたくない!と人生のリスタートを決意。

ある日、仕事で担当していた派遣スタッフさんが、契約終了後に不動産会社を起業したと挨拶に来てくださった。(この人が後にお世話になるTender Living(株)代表取締役社長の中村マリアさん)
そこで繋がったFacebookのタイムラインから、なんだか気になって仕方ない人が出てきたので思い切って会いに行くことにした。それがビューティープロデューサーの平野宏枝さんだった。

彼女が主催するメイクレッスン会へ行き、最後にSNSでは明かしていない過去の話を伺った時、会う前から心が共鳴していた理由が腑に落ちた。それ以降、彼女は私の人生のキーパーソンとなった。


(2015年3月、初めて参加したメイクレッスン会での宏枝さん)

 (宏枝さんのイベントを手伝うようになり、そこで繋がったのが米国NTIホリスティック栄養コンサルタント・フードコーディネーターの細谷ゆかりさん、CLAYD JAPAN代表の羽田賀恵さん。宏枝さん、ゆかりさん、賀恵さん、3人とも四角大輔フレンズ!)


41歳の時〈LifestyleDesign.Camp〉の前身、四角大輔さんがJohn Kimさんとふたりで主宰するオンラインサロン〈Life is Art〉と出会う。当時オンラインサロンを知らなかったが、様々な人生経験や価値観を共有し合える仲間との出会いに感動し、心が満たされていくのを感じた。半年後、特別会員(現PremiumCamp)に申し込み、そのグループセッションの中で私は他者に初めて自分の人生の全てを自己開示した。その場にいた仲間たちが涙を流し、大輔さんが最後に静かにハグをしてくれたこと、今でも心に深く思い出として残っている。
全てのセッションが終わり、私はやっとライフスタイル・インフラ(体と心の健康、人間関係、身を置く空間)を整える重要性が理解できた。そこで大輔さんは、ここが勝負どころと一気に私に畳み掛けた。「3ヶ月以内に引っ越ししないと絶交する」宣言。これは正直かなりの衝撃と葛藤が伴ったが、自分と向き合うなかで意識が変わり、中村マリアさんのサポートを受けて引っ越しをした。



(2016年5月、マリアさんに引越しの相談をした2日後、大輔さんとマリアさんが都内の地下鉄で遭遇するという奇跡が起きた!)

引っ越し話を書いたブログ




ターミナル駅の商業エリアから自然のある住宅地へ住まいを変えると、私と愛犬ジョアンのアトピー性皮膚炎は改善した。マンションの目の前にある大きな公園を散歩していると、自然とリラックスして心身が整う。絶対にできないと思った「引っ越し」が、思い込みを外せばなんとかなることを実感できたことで、さらなるチャレンジ精神が生まれ、人生初の一人旅、スリランカ6日間の旅に出た。そこでアーユルヴェーダを受けながら、自然のなかで人生を振り返った。他界した彼との出会いがあったからこそ今がある、全てが繋がって感謝に満ちた旅となった。



(自然が身近になってジョアンも元気になった)


(スリランカのシーギリヤ・ロックの前で)



そうやって自分の心に余白が生まれてきた頃、大輔さんからアシスタントの誘いを受ける。

当時の私は正社員。職場の人間関係は良く、コミュニケーションスキルの強みを生かせる人材業界の仕事は、クライアント、派遣スタッフさんとの関係構築もしっかり出来ていて、私にとって向いている仕事だった。副業が出来ないため最初はお断りしたが、その一言が今後のキャリアを考えるきっかけとなった。
上司からはマネジメントスキルを期待されるが、細かい収益管理が苦手な私。会社が求めるリーダー像と自分のスタイルにギャップを感じつつあった。そして変わる求職者ニーズに、この事業スタイルが今後も継続するとは思えなくなっていた。
でも40代シングル女性が、完全フリーランスの道へ進むにはリスクが大きい。年収が大幅に下がることも不安が募る。

そこでまず半年間、大輔さんに相談して準備の期間に充てた。
四角大輔アシスタントの補佐として、庶務業務を無給でさせてもらい自分の適性を判断する。
会社では今後の交渉に備え、自分が誰よりも必要とされる人間となることに注力する。
(皆が苦手な領域で自分の強みを活かす。+αの自分にしか出来ないことを増やす。)
直属の上司と何度も話し合う。
求職者との面談で正社員志向の強い人と出会うと一瞬迷いが生じる時もあったが、自分の心の声を聞くようにしたら段々ブレがなくなった。

そして正社員で10年間勤務した財閥系人材会社に、自らアルバイトになることを提案、44歳でWワークが実現した。マネジメントから外れたが、既存クライアント訪問、派遣スタッフ面談、求職者対応など得意なことに絞り時給勤務となった。(社会保険が継続加入できる範囲で、初年度は週4日アルバイト、2年目は週3日に減らした。)
社員が雇用形態を変えた前例が無かったので、会社が新たにアルバイト規程を作成、通常より高時給で採用していただけたが、初年度は年収半分、2年目は3分の1以下となった。
しかし会社は私を尊重してくださり何でも自由に活動させてもらったので、気持ちが楽になった。ただ一方で居心地の良さと時給制に甘えている自分も感じ始めた。元々アルバイトの助走期間は2、3年と決めていたので、ここが潮時かもと昨年末に2020年3月末で退職する可能性があることを上司に伝えた。

そして2020年1月22日〜2月6日の16日間、人生のターニングポイントとなるニュージーランドでのバックパック一人旅をする。
旅の途中、大輔さんをはじめ、ニュージーランドで本気で暮らす日本人の魂の言葉に触れて「自分の人生に限界を決めないこと。幸せに蓋をしないこと。」が魂に刻み込まれた。


(NZオークランドでのミートアップ・沢山の仲間が集まった)

(いつか行ってみたいと思っていた大輔さんのNZ湖畔のテラス)


(たまにはお洒落もいいけれど、自然の中で裸足で笑うほうが私がらしい)


(ネルソンではNZ在住20年以上のApBeeの宇田夫妻の元へ)



NZの旅の全て。(大輔さんと過ごした4日間の学びがここに。)




そして3月末退職。2020年4月から25年間の会社員を経て完全フリーランスの道へ。
(会社の上司、同僚たちは、私らしい決断だと応援してくださって円満退社できた)
現在の年収は不動産収入はあるものの、正社員時代の3分の1。
それでも不思議と不安はなく、むしろWワークになってからの方が、家族のような《ホームピープル》との出会いに恵まれ、心はいつも満たされている。


(2020年2月の東京ミートアップにて)


正社員を退職した時は、正直〈人生のルート〉を外れたと思ったが、それは世間一般の常識で、私は40代半ばにしてやっと〈本来の私の人生のルート〉に乗って走りはじめた気がする。

そしてここから先に描く未来は、〈LifestyleDesign.Camp〉で出会った仲間と、ライフワークを作っていくこと。オンラインサロンに出会う前の私は、ネット上の交流から深い繋がりが芽生えるとは思ってもみなかった。しかし「人は誰もがアーティスト」という四角大輔の人生哲学に共鳴して集まった仲間は、年齢、性別、職業、肩書きなど一切関係なく、お互いがありのままの自分を曝け出して本音で語り合える仲間。

離れていても波動が同じで一体感があり、リアルで集まると一気に深い話ができる。人生の節目、大変な時には大輔さんをはじめ、支えてくれる皆の存在があった。


40歳を超えても好奇心を持ち、心の声に素直になって一歩を踏み出したら人生は動き始める。

それを教えてくれた、私の人生の幾つもの素敵な出会いに心から感謝したい。


そしていつか《ホームピープル》たちと輪となり、ありのまま自然体で、味方であり続けるライフパートナーと幸せに暮らしたい。それを楽しみに、今日も私は精一杯生きていく。


(2015年5月。記念すべき初対面、、この風貌にビビって全く話せなかった)

(妄想していた大好きな2人の対談が実現)

(大笑いする宏枝さんと私。こんな風に笑い合える仲になるとは、人生って面白い)


以上。