「2030〜40年には、水の需要が供給を上回る」

複数の研究機関が発表したこの衝撃の予測に、ショックを受けた方は多いと思う。
世界史において、これまでは黄金やダイヤモンド、石油資源などの奪い合いが戦争やテロの原因となってきたが、今後は「水」の争奪戦が始まるというのだ。

ニュージーランドに移住した直後から半年近く続けた、シンプルなキャンプ場での暮らしから学んだことは多い。
今回は、その中から「水」のことについて書いてみようと思う。

トレーラー 〈Photo. Daisuke Yosumi in NZ〉

ぼくが生活した畳6畳くらいのキャンピングトレーラーには、トイレとシャワー兼用の小さなスペースがあった。
半畳くらいの狭い面積の空間の隅にシャワーヘッドが、反対側に便器が設置されているのだ。
身長180センチのぼくが体を洗う時、気をつけていても肘が何度か、壁にガンと当たる、そんな狭さだ。

シャワーからお湯は出るが、3〜4分しか持たないため、服を脱ぎながら、シャワー中の全行程を、頭の中で完璧にシミュレーションする。
その際に意識すべきことは、無駄な動きをすべて排除することだ。

いったんシャワーを出した以降のためらいや逡巡は命取りになる。
お湯を体にかけたあと蛇口を一度締め、呼吸さえ忘れるほど一気に、頭から足の先まで石鹸で洗う。再度、シャワーを浴び、泡を流す。うかうかしていると後半は水になってしまうのでドキドキだ。

この英国製のキャンピングトレーラーは、欧米の家に多い「温水タンク方式」を採っている。
キャンプサイトからの電力か、トレーラー備え付けのプロパンガス(切り替え可能)によって、タンク内のお湯が事前に温められているのだが、タンク容量が小さいために、わずかな量のお湯しか出ないのだ。

そして、シャワーヘッドからの水圧は微弱で水量も少ない。文字どおり「チョロチョロ」だ。
さらに付け加えると、このタンクの水が適温になるまで1時間以上かかる。
つまり、ふたり連続でシャワーを浴びることができないのだ。

ただ、キャンプ場には別棟にシャワールームが設置されている。
そこからは、高水圧で潤沢なお湯が溢れでてくる。ぼくは当然、その施設も頻繁に利用した。
しかし不思議なことに、トレーラー内の貧相なシャワーに慣れてしまったぼくは、その〝あたりまえ〟のシャワー設備を贅沢に感じてしまうようになったのだ。
お湯はふんだんに出るとはいえ、トレーラーの弱小シャワーと同じように、頻繁にお湯を止めて無駄な水を使わないよう、その〝瞬間芸的〟なシャワースタイルを貫いた。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 〈Model. Daisuke Yosumi / in NZ〉

ぼくは、年に何度か日本に戻り、3〜4ヶ月を東京で過ごす。
そこには当然、キャンピングトレーラーよりも強力なのはもちろん、あのキャンプ場のものよりも豪華なシャワーがある。それに慣れると、キャンプ場生活で「贅沢」と感じたあの気持ちを、忘れがちになってしまう。

都市生活を送っていると水は〝無限にある〟といつの間にか勘違いしてしまうのは、ぼくだけじゃないはず。
都会、田舎、キャンプ場、ぼくがいま暮らすの湖畔の森の中、住む場所に関係なく、人間はどこにいたとしても常に、自然界に依存しているにも関わらず、この大切な事実を忘れてしまう。

自分はなんと愚かな人間か。人とは永遠にそういう存在なのだろうか。いや、そうではないと信じたい。
いま地球上で起こっているさまざまな問題を解決できるのは、人間しかいないのだから。
今回は自戒の念を込めて、このテーマを選んだ。

地球上でぼくらが使える淡水は、全体のわずか0.01%というのは有名な話だ。
そしてすでに、一部の大企業や投資家の間で、その貴重な水の争奪戦が始まっている。
ぼくらが知らないところで、恐ろしいほどの大金が動いている。その事実にぼくらはもっと危機感を持つべきなのだ。