旅のテーマと行き先が決まれば、次は発信だ。
今回と次回に渡り、その発信と表現活動における、ぼくの歴史を書いてみたい。
旅を仕事にするためには、このアウトプット作業がとても重要となる。
昔であれば、旅雑誌での執筆や、旅本の出版など、一部の人たちにしかその門戸は開かれていなかった。
でも今では、誰でもすぐに手の平から、全世界へ向けて発信が可能だ。
〈Model. Daisuke Yosumi / at Cuba〉
ぼくがネットで表現活動を始めたのは以外に遅く、2009年のことだった。
大学の教え子が「絶対にやったほうがいいですよ!」と、日本に導入されたばかりのツイッターに、ぼくのアカウントを強引に作ったことがきっかけだ。
それまでのぼくの表現活動は、細々としたものだった。
レコード会社に勤務しながら副業として、フライフィッシング専門誌、アウトドア雑誌、契約していた釣り具メーカーのWEBサイトへ、たまに寄稿するくらい。
ツイッターは文字数制限があり、つぶやいてもすぐにタイムラインで流れてしまうという特性から、気軽にメッセージを発信できた。
ネットでの表現活動の第一歩としてはいいトレーニングになったと思う。
そのまま発信を続け、翌年ニュージーランドに移住。
本の出版などさまざまな活動を開始し、アウトドア生活、ノマド的な新しい働き方、湖畔の森のライフスタイルに関する投稿を続けた。
ツイッター黎明期で盛り上がっていたこともあり、どんどんフォロワーが増加。
1万人を超えたあたりから、自分の発信が、影響力を持ち始めた、という実感を得られるようになった。
〈Model. Daisuke Yosumi / at Cuba〉
もしあのとき、あの学生が強引に、ぼくのiPhoneにツイッターの設定をしなければ、ぼくのSNSデビューは数年遅れただろう。
あの時期の1〜2年の遅れは、取り返しがつかないほどのダメージになっていたはずだ。
ぼくの各SNSのフォロワー数も、ネット上でのぼくの存在感も、現在の半分以下だったかもしれない。そうなればきっと、「旅を仕事にする」というような今のワークスタイルは、構築できていなかったに違いない。
今は、その学生には心から感謝している。
余談だが、その子は在学中に自身のブログとツイッターがきっかけで投資家の目に留まり起業。後に20名以上の社員を抱えるベンチャーに成長させている。
ぼくや彼に限らず、安藤美冬ちゃん、本田直之さん、はあちゅうちゃん、村上萌ちゃんなど、ぼくの周りの友人たちも、SNSによって生き方や働き方が激変。
このように、過去わずか5〜6年の間に、人生の可能性が大きく展開した人はかなり多いはずだ。
〈Model. Daisuke Yosumi / at Cuba〉
そして2011年から、登場したばかりのインスタグラムを開始。投稿は基本的に写真のみ。
添えるにしても一言だけというシンプルな構造に惚れ込み、本田直之さんと2人で1年ほどハマった。でも早すぎた。
その頃日本で使っている人はほとんどおらず、つながるのは欧米の先進的な人たちばかり。
それが楽しかったものの、反応の少なさゆえにいつの間にか疎遠に。
今でもときどき、あのまま使い続けていればフォロワーは今の倍以上いたかも...と後悔することがある(笑)。
〈All of photos with no credit: Daisuke YOSUMI〉
▽シリーズ《旅を仕事にする方法》
①旅を仕事にする方法(前編)
②旅を仕事にする方法(中編)
③旅を仕事にする方法(後編)
2019/02/21 00:00