「成果至上主義」からの脱却
長い間、中高年がリードしてきた山歩きの世界に、若者たちが流れ込んできたのは7年ほど前から(2016現在)。ラン、ヨガ、オーガニックなどの健康志向と自然回帰が後押ししたこともあり、大地を歩く登山は単なるブームにとどまらず、定着しつつある。
かつて登山の世界は〝根性論〟が幅をきかせていた。
「バックパックが重くても、つらくても耐えろ。頂上まで我慢すればすべて報われるから」……と。
確かに頂上からの景色は素晴らしい。
でも山頂は曇天のことが多いのだ。死ぬような思いをして登頂したのに、霧でまったく景色が見えないとき、登山そのものが無駄に思えてしまうだろう。
〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi / at Yaku-Shima〉
日本社会も同じだ。
山頂からの「眺望(成果)」のためであれば、すべてを犠牲にしてもよいという「登頂至上主義(結果至上主義)」は、多くの日本人の心と健康、そして家庭やライフスタイルを破壊してきた。
そして、日本社会をいびつな形に歪めてしまった。
そんな「クラシックスタイル」ともいえる登山の世界に、「ウルトラライト・ハイク(超軽量登山)」という〝ニューウェーブ〟が登場。この斬新な登山スタイルは、ここ10年ほどで、世界中を席巻するまでに広がった。
それは、荷を極限まで軽くすることで、人間の体と自然環境、両方への負荷軽減を目指すという軽快なスタイルだ。そこには、「頂からの景色だけ」でなく「行程すべて」を楽しみたい。過剰な道具を減らし、シンプル&ミニマムにすることで「自然との一体感」をより味わいたい、という想いが込められている。
ぼくのライフワークでもある「ロングトレイル登山(長距離登山)」にも、この思想とスタイルを積極的に採り入れている。
そして、人生にも。
〈Photo. Daisuke Yosumi at New Zealand〉
結果ではなく、過程を。登山も、人生も。
荷が重いと、苦しくて下を向いてしまう。逆に、荷が軽いとゆとりが生まれ、自然と顔があがり、より景色を味わえるようになる。行程そのものを楽しむことができるのだ。
ぼくが連載をもつ登山雑誌『PEAKS』の撮影ロケで、衣食住すべての装備を背負い、北アルプスの難路を、長野県から富山県まで1週間かけて踏破したとき、当時41歳のぼくは、疲労も筋肉痛もなく、最後まで笑顔で歩くことができた。
実は、体力があふれる20代のときよりも、40代の今の方がより長い距離を歩けるようになっている。バックパックで背負う荷の重さが半分近くになったことが、その大きな理由の1つだ。軽量化の恩恵はそれほど絶大なのである。
人生も同じだ。
大切なのは「登頂」よりも「楽しく歩き続けること」。
大切なのは「結果」よりも「過程と持続可能性」。
何日もかけて、険しい山道を歩き続けるロングトレイル登山は人生の縮図ともいえる。
例えば、前述の北アルプス1週間の長距離登山では、3,000m前後の高さの山をいくつも越えた。その総数なんと20峰。
つまり、すべての体力を使い果たして、なんとか1つ目の山頂に立てたとしても、登山は終わりではないどころか始まったばかり。まだ19峰の高い山が残っているのだから、そこで力尽きてはまったく意味がない。たとえ、日帰りで1つの山だけが目的だとしても、登頂後には必ず下山という行為が待っている。
〈Photo. Tsuruda Hiroyuki / Model. Daisuke Yosumi / at New Zealand〉
必要なのは、自分らしさ、身軽さ。
ロングトレイル登山では、最初から最後まで、できる限り〝自分のペース〟で、しかも〝ゆっくり同じ速度〟で歩き続ける方が、遠くまで行くことができる。
しかも長距離であればあるほど、急いで早歩きしたり、疲れて長時間休んだり、ペースをむやみに変えて歩くよりも〝ゆっくり自分のペースで歩き続ける〟方が、結果として「早く目的地へ到達できる」のである。
世の中のスピードは気にせず、焦りや他人の目などは捨てて、自分のペースを維持できる〝しなやかさ〟を身につけよう。不要なものを手放し、軽やかに生きる勇気を持ってみよう。
無意味なストレスや抱えている重荷が減ると、行動力が増し、より簡単に新たな挑戦ができるようになるだろう。〝自分らしさ〟と〝身軽さ〟こそが、真の自由と冒険心を生み出すのだ。
人類誕生から続けてきた、人間にとってもっとも原始的な〝歩く〟という行為には、人類の未来を、どのような感性でデザインするべきかのヒントがあふれているのだ。