マナ(Mana)とは? 


ニュージーランドに西洋人が貨幣制度を持ち込む以前、先住民のマオリ族の間で流通していたのは、「おカネ」ではなく、ある「価値観」だった。

それは「マナ(Mana)」と呼ばれ、英語には該当する言葉がない。ニュージーランド湖畔の森に建つ我が家の隣人で、マオリ族の末裔(まつえい)という方が、そう教えてくれた。

人は最大級のマナを持って、この世に生まれるとされる。
そして、生きている間にさまざまな不徳や罪を犯し、次第にマナを失ってゆくが、善行により「人に何かを与える」ことで、マナは高まる。「人は誰かから感謝されるたびにマナを受けとっている」と、ぼくは解釈している。

その昔マオリ族は、カネやモノのためでなく、マナを高めるために生きてきたという。

 

持続可能な社会へ 


翻って日本を見てみると、アベノミクスによる経済効果が追い風となり、参議院選は自民党が圧勝。世界に目を転じれば、ほとんどの先進国でカネのバラまき(異常な金融緩和)が行われている。なのに一方で、大量生産・大量消費の国アメリカの象徴でもある、クルマ産業の街、デトロイト市が財政破綻した(2013年当時)。

規律や品性をかなぐり捨て、むやみに貨幣の流通量を増やし続ければ、いずれ崩壊するのは歴史が証明している。経済成長には、貴重な淡水や化石燃料などの〝持続不可能な地球資源〟が大量に必要とされる。そして、この星は拡張を続けているわけでも、資源量が増え続けているわけでもない。

永遠の経済成長を求めても、有限の地球が耐えられないことは明白だ。でも、いまだに多くの人が 「経済成長=善」という破壊的な仕組みを妄信し、〝必要以上〟の資源とカネを奪い合っている。しかも、人間として本来、享受すべき〝本当の意味での幸せ〟や〝健康〟より、財や富、地位や名声を得ることを最優先している。

人類の向かうべき持続可能な社会への、方向転換や価値観のリセットは、いまや急務だ。そのヒントが「マナの思想」にあると思う。

マナを日本語にすると「徳」や「品格」に近い。こうした、本来誰もが大切にしていたはずの気高さ、人間の根底に流れる本質的な美意識こそが、これからの人類がめざすべき方向になるはずだとぼくは信じている。

「この星に生まれた生命体として美しく生きたい」。そう願うのはぼくだけじゃないはずだ。