インタビュアー:今回は、日本人でありながらNZの国の機関である「DOC(Department Of Conservation=環境保護省)」でお仕事をされている亀山真司さん。
そして日本のレコード会社でプロデューサーとして活躍された後、NZの湖畔で持続可能な森の生活をされている四角大輔さん。
友人同士でもある、ナチュラリストのお二人と3日間一緒に、NZ南島の世界遺産の森「フィヨルドランド」にあるトレッキングコース「Hollyford Track」を歩かせていただきました。
その中で特に心に残っているのが、初日の山小屋で、真司さんのリュックから出てきた大量の食材(お米、友人が仕留め真司さんが担ぎ出してきた鹿肉、ワイン、ソーセージ、チーズ、バナナ一房…!)を見て驚いた僕たちに言った、「遊ぶ時は全力で遊ばなきゃ!」という言葉。
そして、森を歩きながら植物や生き物の解説をして下さっている時の「よく、NZは手つかずの自然と紹介されるけれど、そこには大きな『?』がある」というもの。実際に真司さんの活動のお話を伺い、正にその通りだと思いました。
そして大輔さんは、日本の音楽業界での成功を躊躇なく手放し、日本とNZの両方で、何日もかけてロングトレイルを歩いたり、フライフィッシング冒険に挑んだりと、ライフワークである大自然への挑戦を続けられている。その行動力はすごいなと。
そこで、まずは簡単にお二人がこの国に来た理由、NZのどこに魅了されたのか、その前日本ではどういうことをされていたのかを伺いたいと思います。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
正しくドロップアウト?した二人の物語。
四角:シンちゃん(亀山真司)は、最初はワーホリでNZへ?
真司:うん、そうだね。それまでは絵に描いたようなサラリーマンをずっとやってた。スーツ着て新宿の高層ビル街に7年間。製薬会社の開発マンでいわゆる出張族、月曜は大阪で火曜は久留米、みたいな。
四角:そうなんだ!社会人になってすぐワーホリでここに来て、そのままここに住み続けてると思ってた(笑)。
真司:俺は何歳だよ!(笑) 7年間サラリーマンをやっていて、「これで良いんだろうか?」っていう素朴な疑問がどんどん大きくなって、とりあえず脱出しようと。
四角:何歳のとき?
真司:29歳の時。それまで海外は遊びで何回も行ってたけれど、もう少し長い時間、自分をポンっと放り出したくなった。いわゆるサラリーマンのしがらみを全部クリアにして、またそれを外から見ていいなと思えば戻ればいいわけだしって。
で、いつがいいだろうって考えたら、「自分は、今この瞬間が一番若い」っていうあたり前のことに気付いた。「来年」では、自分の身体は1年分は確実に老いてしまうわけだから。じゃあ「今やろう」って自分を自分で押し出した感じ。
四角:それが29歳の時だ。ワーホリで?
真司:うん、でも僕はNZの前にカナダに行ったんだよね。当時のワーホリはオーストラリア、カナダとNZしかなかった。
オーストラリアは年齢的にもうダメ。あと二カ国は30歳までだったんだけどカナダの方が手続きが大変だったからそっちからやろうと、29歳の時にカナダへ。
実際に細かくワーホリの条件を見てみると、31歳の誕生日の前日までに入国すればいいとわかり、カナダから帰国して2週間後にはNZ行きの飛行機に。それが31歳の誕生日の直前だったんだよね。
四角:それでそのままNZに住んでるんだっけ?
真司:いや、一年間のワーホリが終わってから一回帰国。けれど、NZに戻りたいって気持ちが強かったんだよね。ワーホリの最後にかじった山ガイドの仕事がとても新鮮で次の年の夏にまたこっちに帰ってきて、そこからしばらく6ヶ月はNZ、残り6ヶ月は日本で過ごすっていう渡り鳥生活を何シーズンかした。
僕はそもそも、スキーと雪を求めてカナダやNZに行ってた人間だから、僕の生活から雪が消えてしまうのは困るわけよ。なんとかNZで通年生きられる方法を探すようになって、夏はハイキングガイド、冬は運よくクイーンズタウンで仕事を見つけることができた。
そこから通年いられるようになったわけ。日本での安定した収入も、安泰な生活も同時に羽が生えて飛んでいっちゃったけど(笑)。結果的に日本に戻るのではなくて、こちらで生活するほうを選んだっていうことかな。
インタビュアー:日本ではなくてこちらを選んだ理由というのは?
真司:それはシンプルなことかな。やっぱりこっちの方が居心地がいいんだよね。自分がいる空間、生活する空間が自分にとって居心地がいいかどうかっていうのが僕にとっては大事な要素。
カナダに行ったのもそうなんだけど、日本で居づらさを感じていた自分にとっていい「居場所」を探す旅でもあった。僕がそう感じる場所はどこなんだろうっていう旅を、ノマドじゃないけれど遊牧民的に探したかった。
もちろん世界は広いし、まだまだ行ったこともない国も沢山あるけれど、今まで歩いてきた中で自分に波長があったのがこの国だった。じゃあ自分の居心地のいいこの国に居続けるためにはどうしたら良いだろうかっていうのが、その次のステップで。
四角:そうか〜。シンちゃんもノマドライフからスタートしたわけだ。ぼくがNZを選んだ理由も、ある意味シンちゃんと同じ。
ぼくは単純に湖でフライフィッシングをしている時が何よりも幸せで。学生時代から好きで好きで。大学3年から7日間のうち3日間学校にいればいい状態にして、残り4日間は湖で釣りばっかりしてた。
その後、新卒でソニーミュージックに入社時に「最高の釣り場環境を求めて(笑)」札幌営業所勤務を希望。札幌では、週末はもちろん、平日も新入社員のくせに定時に「帰ります」って帰って、そのまま夜釣りに行って…サラリーマンのくせに毎日釣り(笑)。でもそれでも満足できなくて…...。
NZとの出会いは学生時代だったんだけど、昔から一緒に釣りしてた親友が「俺はNZに留学する」って突然、宣言して旅立った。「NZ?何で!?」と訊いたら、そいつは「世界一のフライフィッシング天国だぞ!」と言い切るわけ。
「国を挙げてフライフィッシングを推奨している」と。「マジ!そんな国あんの??」って、衝撃で。そこから2年間、手紙で釣りレポートと鱒の写真が何度も送られてきて、これはヤバいなと(笑)。
真司:やられちゃったわけだ(笑)。
四角:まだ行ったこともないのに、その手紙だけで「ここに住む」って迷いなく心に決めたんだよね。幼稚園に入る前からずっと釣りをしてきて、釣り場ではいつも誰よりも最後まで粘って、真っ暗になるまで釣りしているのに「まだ物足りない、何かが消化不良」という「永久に満足できないかもしれない枯渇感」がずっとあった。
「性欲・食欲・睡眠欲」といった、人間の生存三大欲求よりも「釣り欲」の方がマジで勝っていたんだよ(笑)。そこで「ちょっと待てよ」と真剣に考えてみた。この自分にとって究極ともいえる「フライフィッシング欲」を満たせずまま、人生を生きていくのはあり得ないんじゃないか、と。
それは「自分の人生を生きてない」「生まれた意味がない」ということに等しいと。
その後、他の国には目もくれず、移住するまでに15回この国を訪れた。シンちゃんと同じで、世界中を見たわけじゃないのに、「肌が合う」という確信を、初めてこの国に降り立った時に感じた。それは、「あ、帰ってきた」っていう不思議な感覚。
真司:うん、わかるなぁ。
四角:「あ、自分のルーツに還ってきたな」って。地面から、足元から、なんかエネルギーが上がってきたんだよ。それはとても感覚的なもので、うまく言語化できない。
真司:不思議だよね、森のエネルギーも言葉で説明できるものじゃないし。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
この国を選んだ本当の理由。
四角:結局、移住できるまで15年以上かかるんだけど、それまでに、日本で発売されている、NZ関連の本はほぼ全て読んだ。NZを特集する雑誌やテレビ番組も、関連映画や音楽があれば必ずチェックして、徹底的に情報収集をした。
でも、そういった情報から得られない、NZに来ないとわからない重要項目もいっぱいあって。こっちに来る度に、それらとの「答え合わせ」がされるわけ。
真司:なるほどね。来るたびに大ちゃん(四角大輔)の「NZスコアブック」に二重丸が増えていったと。
四角:そうそう。
「オーガニック食品の選択肢が多い」とか、「原発ゼロな上に、再生可能エネルギーで電力の8割近くをまかなってる」とか、「大地と共に生きてきた先住民マオリがいて、その人たちの自然哲学が、国の方針や社会思想の基盤になってる」とか。
政府や国民がリベラルで寛容で、マイノリティに優しく、起業しやすさ世界一など、社会における自由度が驚くほど高かったり。先進国における出生率がトップクラスで、子供教育では「その子が本来持っている独創性を伸ばす」というところに焦点が当てられていたり。
「自然や釣りが素晴らしいだけじゃなくて、目指す生き方や理想に合致するものがたくさんある!!」って。最初は、単なる「フライフィッシング欲」を満たしたくてこの国に惹かれたんだけど、そうやって次々と「人生の答え合わせ」がされていく中で、感覚的なものが「絶対の確信」に変わっていった。
自分の「本当の居場所」探しをする時、「政治・経済・生活・環境・教育...etc」と、自分にとっての重要項目を入れた表を作り、そこに「カナダ・オーストラリア・アラスカ」という風に、候補地ごとのポイントを付けてゆき、数字で客観的に比較して決める方法もあるかもしれない。
そうやって、最初から「頭」を使って計算したり理論的に場所探しをすることも決して否定しないけど、それ以上に「心と体」でどう感じるかのほうが確かだと思うんだ。
真司:そうだね、その場に身を置くことが自分と合うかを見るのには一番手っ取り早いよね。現場に行って、そこで何を感じれるか。スペックを比べるのではなくて、ストレートに何を感じれるかっていうのが一番いいよね。
四角:本当にそう。好きな人ができたり、好きな趣味を見つける時って、他と比べてスペック評価をして理論的に決めるわけではなくて、「野球をしているとなんか知らんけどめちゃ楽しい」とかでしょ。
「この人大好き、なぜならばスリーサイズが◯◯センチだから」とかではないはず。「説明できないけどとにかく好き」って、いう感覚なはず。
真司:その例えわかりやすいね(笑)。
四角:移住する時に、ある程度のまとまったお金は必要そうだし、永住権取得などの準備、「自分というコンテンツ創り」やキャリア作りを考えると、感覚的には最低10年はかかるだろうなぁと想像して、25歳で会社に入って35歳で辞めて、というような大雑把な計画は立てていた。
でも結局、予定の10年は過ぎて、15年間働いたのだけど、そもそも音楽業界志望ではなかった。たまたま入社したレコード会社で、導かれるように「音楽アーティストのプロデュース」という天職に出会うことができたんだ。
過剰なストレスで身体や心を壊したり、過労から駅で意識不明で倒れたりと、もちろん七転八倒しながらだったけど、性分に合っていたこともあって、いい結果を出すことができた。それで、2009年の12月に永住権が取れたと同時に、仕事を辞めて2010年1月に移住してきた。
周りの皆からは「仕事上手くいってるのになぜ辞めるの?」とすごく不思議がられたけれど、元々仕事を始める前から決めていたことだから、全く躊躇はなかった。むしろ、やっと「人生の本番」が始まるっていう気持ちの方が強かった。
「夢と希望いっぱいで、NZのイメージが出来上がってるだろうけど、旅行するのと住むのは違うぞ」ってたくさんの人に言われて。もちろん、そんな一般常識は知っていたけど、NZのことは10年以上かけてオタクなくらい勉強したし、実際に何度も訪れて徹底的なリサーチを続けてきたから、何を言われても気持ちは揺るがなかったし、そのために節約生活を15年以上続けてきた、という自負もあった。
でも、ここだけの話。
本音を言うと、「きっと、イメージとのギャップで苦しむこともあるんだろうな……」という覚悟はしていた。でも、実際に住み始めたらどんどん好きになって、この国をより深く愛せるようになっていく。
「頭で考えすぎないように!感じることを優先して!」
と、プロデュースしたアーティストや、大学の教え子やうちのインターン生に言い続けているけれど、若者たちの多くは、「自分で感じることよりも周りの考えを優先しろ」と教えられていて、「感じる」という人間にとって「一番大切なスイッチ」が封印されている。
その例え話としていつも話すのは「ぼくの人生を大きくアップグレードしてくれた国と出会ったきっかけは、単なる釣りだよ」って(笑)。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
この地のために何ができるのだろうか。
真司:アプローチの仕方は違ったにしても、結局見つけようとしていたものは同じなんだろうね。それがたまたまNZで見つかった。
見つけたものも違うけれど。僕もここに長くいるためにはと思って仕事を探して、見つけて、ってやっているうちに、ますますこの国のことがわかってくるようになってきた。
そこにはもちろん、この国の抱える問題点っていうのもあって、自分は山ガイドをやっていたからこの国の自然の抱えている問題点、苦しんでいる森の存在のことに、ガイドすればするほどわかってきた。
そうしたら、今度はその困っている点をどうにか修復する側のスタッフとしてこの国に貢献できないだろうかっていう目線に変わってきて、それで今に至るのかな。
四角:なるほどね。ぼくもこの国が好きだから、どうやったら長く住めるんだろうというのがテーマだった。そのためには永住権がどうしても必要で。移住前最後の3年をかけ、苦労してやっと手に入れられた。
それに至るまでは皆に「ウザい」と言われるくらい「NZ LOVE!!」だったんだけど、実際に住むようになって、よりLOVEが強くなり、なんとかこの国に貢献したいと思うようになった。例えば、NZにいると「喜んで税金を収めさせていただきます」っていう気持ちになる(笑)。
真司:うん。毎年「去年の税金はこれ、これに使いました。今年徴収する税金はこれにいくら、こちらにこれだけ使いますがよろしいですか?意見があればこちらに」と全部公開して了解を得る。
自分に身近な街の予算なんかは有料公衆トイレの維持費にいくらかかるとかまでブレイクダウンするから町民の関心も高く、チェックも厳しい。その上で払うから皆納得して財布を開く。
ひとつ感心したのは土地、家屋にかかる環境改善費用の請求書に「この税金は他の税金とまとめて徴収しません。なぜならこの税が何に使われるのか理解したうえでお支払いいただきたいからです」との一文がある。
すごくない?国民にわからぬよう、実感できぬようにまとめて給料天引きにしてしまう国からきた人間には衝撃ものだった。
四角:ぼくは、シンちゃんみたいに「この国のど真ん中の現場」で、実際に行動するところまでは至ってないけれど。
これまでの仕事で培ったメディア戦略やブランディング術、クリエイティブ業界とのつながりを活用したり、自分で書く様々なジャンルの原稿やSNS投稿、自分のメディアや著書でこの国のことを発信したり。そういう自分にできるところからまずは貢献したいって考え始めた。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
姉妹国家、日本とニュージーランド。
四角:あと、もう一つ、強い思いがあるの。
日本とNZは比較するにはもってこいの国なんだよね。赤道を挟んでちょうど反対側にあって日付変更線も越えない。大きさも同じような島国で四季もあって。NZ人は、「同じ小さな島国なのに、日本は焼け野原からわずか半世紀で経済大国になった」ってリスペクトしてくれている。
片や、日本人はNZのことをほとんど知らない。「OECD加盟国の底辺にいる小国で、酪農や農業の国よね、羊はたくさんいるけど、他には何もない国」っていう見方がほとんど。けれど、これからの日本が見本にするべき国の一つなんじゃないかって思って。だからNZを「未来の国」って呼んでる。
だからぼくは、今までの仕事で得た表現技術や日本での人脈といった、自分の全スキルを活かして、NZの「正しい姿」を伝えようとしてきた。もし、より多くの人がこの国のことを知り、訪れてくれるようになったら、日本がいい方向へ転換するきっかけにつながるんじゃないかって。
それこそ、シンちゃんが言ってたみたいに「大人が人生を全力で楽しむ。本気で遊ぶ」っていう行為は、日本じゃなかなかしづらい。NZ人は日本人に比べたら、給与水準は低いにも関わらず、全力で遊び、人生を楽しんでるわけじゃない?
真司:「宵越しの銭は持たねぇ、今遊ばないでいつ遊ぶ」って感じ?時々心配になるけれど(笑)。もっと国民に老後の貯蓄をしてもらおう、って政府が動いたのは2010年に入ってからのことだからね。でも逆に言えば大多数の国民は、これまでどうにかなってきたわけでしょ。
「病気になったときの為にこのお金は貯金に回そう」
もちろん僕も日本人だからよくわかる。NZ人には「病気?ホリデーに家族でキャンプしてハンティングしてたら寄ってこねぇよ」って返されるのかな(笑)。
「定年退職したら時間もお金もあるから遊ぼう」
これは、ガイドしてきた日本人のお客様がよく言ってた言葉だけど、残念ながら自由な時間ができたときには「膝が痛くなるからゆるやかな登りのコースを」とか「重いものは背負えないので日帰りで」と制約が増えてしまう。
「この川を濡れながら渡って、谷をつめた先にある氷河の前でテントを張りましょう」とは言えないわけ。でも、この国では若い頃からみんな長期休暇をしっかり取って、やりたいことをやる。
毎年。家族で何日間も山を歩いたり、1週間以上キャンプしたり、長期間の旅に出るというのは普通。大きく言えば、人生の楽しみ方を実践の中で子孫に引き継いでいる。
四角:去年より今年、今年より来年という「右肩上がり主義」や、社会的な「勝ち負け」にあまり興味ないよね。
成長とか競争とかではなくて「楽しむ」っていうこと、つまり「ライフスタイル」が最優先。出会う個々のNZ人がそうだし、コミュニティや国自体がそう。この思想を日本に正しく紹介したいって強く思う。
真司:勝ち負けといえば、NZ人はマルチスポーツとかトレイルランニングとかかなりハードな遊びが大好きだけど、いざオリンピックとかギリギリの精神状態の中で100分の1秒を争うような勝負事となると途端に弱くなって、影が薄くなる(笑)。
四角:そういう意味では日本とNZという「姉妹ような」両国に関われたことはラッキーだったと思ってる。例えば「大自然の国」といえば、他にも沢山あるけれど、オーストラリアやカナダとかは、日本より圧倒的に大規模で違いすぎて、リアリティを抱きづらい。
だから、国土的に同規模の「小さなNZ」って、日本にとって貴重な存在なんだよね。そういうことを、さりげなく伝えていきたい。
真司:自分に何ができるだろうっていう時の表現の仕方って、大ちゃんには大ちゃんのやり方があるし、僕は僕でやり方が違うけれどきっかけとか原動力は同じで、この国に色々と教えてもらった代わりに何ができるだろうっていう気持ちだよね。
色々なありがたい経験とかをもらうだけではなくてフィードバックしたいっていう気持ち。
四角:この国に「恩返ししたい」って思うよね。
真司:そう、ありがとうを言いたいっていうのがある。僕にとってはその一つの形が山ガイドだった。自分がさんざん遊んで、とんでもない景色を見てその度に凄い感動を受けて。
そういう感動を与えてくれた国をもっと日本人に上手く伝えられないか、そういうことをしたくてガイドになった。この国を一番ストレートに体感してもらうには山歩きが良いと僕は思ったんだよね。
そこで自分の感じたことを自分の言葉でお客さんに伝えて、そこでちょっとずつその人がNZの魅力を知ってくれて、そんな人がちょっとずつ増えてくれば結果的に日本がちょっとずつ良くなるんじゃないかって。
四角:そうだね。まったく同感だよ。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
自然と人間の「いい距離感」とは。
真司:例えば国立公園の自然保護の考え方っていうのも日本とNZでは随分違う。
「危険」「立ち入り禁止」としてしまって、この自然は大事なんだから入るなと遮断してしまう国と、その素晴らしい自然の中に実際に入ってその価値を経験してもらって、「確かにこの自然はすげえよ、大切にしなきゃ」っていう気持ちにさせる国。
その違いを感じた人が日本に少しでも増えてくれば「立ち入り禁止」の人たちも変わるんじゃないかなっていうのがすごく先の理想というのかな、そんな思いもある。
四角:NZのすごくいいところは、厳しいことで有名な「国立公園法」で自然を徹底的に守りながら、同時に人々にそれを楽しむ権利を与えているところ。魚を釣ることに対してよく、それって魚をいじめてるんじゃないのとか、森に登山道を作るのって自然を壊してるんじゃないの?って言う人が時々いるのだけど。
自然を守るために、全く自然に触れられないようにするのも一つの美しい方法なのかもしれないけれど、人があえてそこに入っていくことで深い学びを得られるだけでなく、「なんとかここを守りたい」っていう高い次元の意識を得られる。
釣りって、もっとも環境変化がダイレクトにわかるんだ。学生のころ釣りに通ってた、日本のある川の話なんだけど。
そこの水は凄く透明で流れも素晴らしい。でも、全く釣れない。おかしいなと思って少し上流に行ってみると、昔はなかったセメント工場ができてた。上から見ただけではわからないけれど、実際に入って、生態にふれてみるとわかる。
真司:ああ…。
四角:人間が自然の中に入っていくことで、確かにある程度のダメージはある。そういうマイナスがあったとしても、人間はそこから多く学び、「自然への畏敬」という尊い感覚を得ることができる。
そして、その感覚を元に、人間にしかない素晴らしい「創造性」を働かせて、自然を守ったり、取り戻す方法を考え出す。そんな、かけがえのないプラスを生み出すことができる。
大自然を経験して感動を得た人たちはゴミを捨てなかったり、街に帰ってもあの自然に対して何かできないかなっていう意識を抱くようになるんだよね。
真司:同感、そうやってアプローチしているのがNZだよね。全くのマイナスを出さないよりも、マイナス1でもプラス5を得られれば結果プラス4になるっていう。それによってそのプラス4が大きなムーブメントになればいい。
僕が暮らしている「テ・アナウ(フィヨルドランド国立公園の拠点となる街)」の住人って自分達に誇りを思ってるんだよね。世界遺産のフィヨルドランドの森をそれぞれができることをやって守ってるよっていう意識がある。
小さなコミュニティだけど皆で同じ方向を向いてこの森を、この資産を守るだけではなくて「もっといい森にして次の世代に繋げていきたい」っていう思いがとても強い。人によってその方法は違うけれど、皆言うだけではなく、ちゃんと実践しているところがすごく気持ちがいい。
たとえばあるツアー会社は、毎日のようにミルフォードサウンドへ車を走らせるからと、道路沿いにある僕らが仕掛けた害獣(外来種)駆除の罠のチェックをかってでてくれたり。
町の生き字引のような爺さまたちは、散歩のついでに平坦な湖沿いに罠を仕掛けたてくれたり。そんな姿を見てますますこの国に居たい気持ちが大きくなって。
話がいろいろ飛ぶけれど、今度は次のステップとして森を守る現場で働きたいってなったわけ。僕の持つ山のスキル、雪崩の知識や体力を使って、まあ現場主義というか、僕にできる形でこの国に恩返しがしたいって。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
「人間は完璧じゃない」を認めること。
インタビュアー:今メインでやられている害獣駆除についてお話を聞かせてください。
真司:みんなには、登山道の途中で実物の害獣駆除用の罠と捕まったストウト(イタチの一種)を見てもらえたから説明しやすかったよ。プロジェクトの優先順位やエリアによって差があるけれど概ね100メートルから200メートル間隔で罠を設置している。
もちろんアクセスできなくては困るから「ミルフォード・トラック」や「ケプラー・トラック」といったメジャーな登山道に沿っていたり、ない場合は罠の為の作業道を作るところから始めることも多いね。かなりの肉体労働だよ(笑)、チェック作業のときは1日に70から100個ぐらいの罠を調べるかな。
餌には卵と肉片を使っているからそれだけ卵を背負ってね。肉片はウサギを使うことが多いけれど牛や鹿、人によっては魚が効くともいう。これからも試行錯誤していくと思うよ。科学と技術の日本から、とてつもなくおいしい匂いが年単位で持続するような疑似餌が届いたらこっちの新聞一面トップ間違いないね(笑)。
一番の困り者がストウトなのね。イタチの仲間でフェレットより一回り小さい。でも原生の鳥達には未知の脅威で、卵はもちろん成鳥でも後頭部や首の急所を狙われたら逃げ切れない。それ以外にもラット、マウス、ポッサムや猫も対象になる。
ねぇ想像してみて。
この島国に人間という哺乳類が入ってきたのはマオリ族が約800年前、ヨーロッパ人が入ってきてたかだか200年ちょっとだよ。日本で言えば江戸時代後期。この大地にしてみれば、ちょっと前までは夜の明かりといえば焚き火のゆらぎぐらいだった。
そもそもこの地にいた哺乳類は2種類のコウモリだけ。他は全部、鳥類のみ。どれだけ鳥達が溢れていたことだろう、襲われることがないのだから飛ぶばかりでなく、地上生活を選ぶ鳥が何種類も出てきた。
羊はもちろん、鹿も鼠もみんな人間様が持ってきた。ストウト含む、前述の動物たちも全てそう。狩の対象として持ち込んだウサギが大発生して、次はウサギの天敵であるストウトを放した。
ところがストウトにしてみれば逃げるウサギより、警戒することを知らない能天気な鳥達、それこそ国鳥の「キーウィ」などがそこいらじゅうにいる。人間様のもくろみは見事にはずれ、気づいたときにはストウトたちは原生林の奥深くまで歩を進めて、何種もの飛ばない鳥たちを絶滅に追いやってしまった。
インタビュアー:NZの陸には人を襲う動物がいないのもいいですよね。肉食の哺乳類はもちろん、ヘビやワニもいない。あと、持ち込まれた動物だけを見ればもちろん可愛いものだし、かわいそうだという意見もあると聞きました。
真司:そうだね、だってストウト自身が悪いわけじゃないから。彼らは彼らの営みをしているわけで。でも僕が賛同できたのはこの国の取っている姿勢。
人間が犯してしまった過ちに対して本気で責任を取ろうとしているんだよね。僕もその一端を担いたいと。過去にやってしまったことは見ないようにしようとか、知らなかったことにしようと「封印」する文化じゃないんだよね。
「やってしまいました、ごめんなさい」って謝った上で、先代達が犯してしまったことに対してなんとかしたいからと色々と考えて、「このNZの森がそもそもあったであろう形に戻そうよ」「みんなやろうぜ!」と言って実際に動いている。
そこが僕に響いて、この波に乗りたいって思った。僕が「手つかずの森」と紹介されることに疑問があるのはそこで、実際には森や鳥達がものすごいダメージを受けているんだけど、NZの人たちは本気でそのダメージの責任をとろうと活動しているんだよね。
四角:NZの良い所だよね。個人だろうが団体だろうが「間違えない、過ちを犯さない人間」はいない。けれどその後に必ず反省をして、なんとかしてリカバリーしようとする。それは自然に対してだけではなくて、先住民に対してもそうなんだよね。
ヨーロピアンの人達は入植してきた時、最初は先住民マオリの人々を迫害してしまう。でもすぐにこれは違う、だめだって言うことに気がついて、世界に先駆けてフェアに先住民の権利を認めた。
同じように、昔はマイノリティ扱いしていた、女性に対しての過ちを認めて世界で最初に女性の参政権を認めたり。
悪い部分を見ず「人間というのは素晴らしい存在なんですよ」と賞賛するのではなく、「自分たちにはダメな所がある」と認めた上で、ちゃんと反省する。それって本来、人類が皆取るべき姿勢なんだと思う。
破綻しかかっているシステムをなんとかして維持しようとする、日本の「既得権益者たち」の行いは醜いよね。2011年3月に日本で起きてしまったあの悲しい出来事に対して、彼らがとった態度。
どうすれば「誤摩化せるか」「なかったことにできるか」と、必死に発言する姿は見ていてすごく悲しくなった。日本のことを愛しているだけに。
このNZの良い所を生み出しているのは「自然と人との距離感」なんだと思う。そして、失敗と反省、成功を繰り返してきた結果、そうなっているんだと思う。原発がないだけでなく、アメリカの原子力空母の寄港に対して、唯一NGを出せる西側の国だったりする。
真司:そう、ダメな所はちゃんとNOと言えるんだよね。
四角:自然と断絶した状態で、人間が「頭だけ」で考えると、損得や利害関係といったことが基準になるから、そこまでの確固たる哲学は生まれないよね。それはやっぱりこの国の人たちが常に自然に近い距離にいて、ちゃんと自然を感じ、つながっているから。
大自然から直接なにかを得て、学んでいるからなんだと思う。もし、全人類が、自然をすごく身近に感じられる状態でいられたら、世界で起きているあらゆる問題は解決するんじゃないかって思うんだよね、本気で。
だから、ぼくはいつも、著書や記事、SNSやトークライブで「自然に触れてください」って言うんだ。これまたウザいくらいにね(笑)。大自然を前にすると、人間は誰もが謙虚な気持ちになる。そうすると、人間のもっとも醜い部分である「傲慢さ」が自然に消えてしまうから。
真司:もっと平和になるだろうね。自然からのパワーとかエネルギーというのをもっと身近に多くの人が感じられたら、この世の中のほとんどの出来事は丸く収まってくると思う。
四角:まず、すでに起きてしまっているいろんな問題に対して、「NZ式」に猛烈に反省をして「どうしたら解決できるか」っていうことにシンプルに集中する。
そのために、人間が持つ無限のクリエイティビティを最大限に発揮したり、破壊的ではない創造的なテクノロジー革新を進めることで、いつか解決できるんじゃないかって信じてる。夢のようだけど。
もちろん、この国のいなくなってしまった膨大な種類の野鳥全てが戻ってくるわけではないけれど。テ・アナウの街のすぐ裏山で30数羽の絶滅危機種「キーウィ」の生息が確認されたり、絶滅したと思われていた「タカへ」が発見されたり。
それは、シンちゃんみたいな人たちの地道な努力の結果だよね。ものすごい苦労して害獣用の罠を仕掛けたり、学者の人たちが長年かけて害獣の生態を研究し続けたりした結果、この小さな奇跡が続いていると。
真司:うれしいこと言ってくれるじゃない。
僕が尊敬するところって何か悪いことが起きてしまった場合、そのことを起こしてしまった人を「なんでそんなことするんだよ」って非難したりすることよりも、どうやって解決しようかっていう、そっちのことを考えるところ。
これは、今まで僕が育ってきた日本での物事に対するアプローチとは違うなっていうのは強く感じた。そういったことが、さっきの森に対するアプローチの違いにも繋がるんだと思うよ。
考える力を、非難したり欠点を見つけるほうに使うのではなくて、解決する、改善するほうに使うのね。僕も見習いたいと思わされたな。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
ヨーロッパとマオリの思想の交差点。
インタビュアー:そういった考え方のルーツはどういった所にあるのでしょう?入植してきたヨーロピアンなのか、先住民マオリなのか、この土地で育まれたものなのか?
真司:どっちか一方のものではなくて、この環境からやっぱり来てるものなんじゃないのかな。例えば「Kiwi Ingenuity(Kiwi=NZ人を指す言葉/Ingenuity=創意工夫能力)」っていう言葉があるようにNZ人って高い独創性と創造性がある。
物をとことん大事にする文化はマオリだけでなく、入植してきた古いヨーロッパ人のスピリットでもあるだろうね。マオリはイヌイットやアイヌみたいに多神教で、木や大地、空など全てのものに神が宿るっていう文化だから、「敬いの心」っていうものを持っている。
それぞれの良いところがミックスされて今のNZ人の意識があるんじゃないのかな。
四角:そうだね、ぼくもこの地で育まれたものだと思う。ヨーロピアンとマオリという、それぞれ全然違う価値観、宗教観を持つ、対極にいる2つの人種の知恵と文化が、この地で共生していく中で少しずつ交じり合ったものだと思う。
例えば、昨今、世界的評価が上がってきてるNZ料理にしても、マオリ、イタリアン、中華、フレンチ、和食、タイとか、国や文化やエリアにこだわりなく、地球上のあらゆる食の良い所を取り入れて調理をするんだよね。そして、素材はこの国の最高にフレッシュなもの使ってるから、やっぱり美味しいわけよ。
「ぼくたちはこうしないといけない」という変な「縛り」がなくて、自由で柔軟なんだよね。自由な感性を奪ってしまう変な「こだわり」を持たず、他者のいいところをどんどん取り入れていく。調理法だけでなく、ワイン、デザイン、国の仕組み、経済、政治、教育まであらゆるものにそういう思想を感じる。
これはぼくのイメージだけど、NZって「A Child of the Earth」って感じがするんよね。地球上の各所から良いところを取り入れている。昔から、純血を守ろうとしている人たちっているでしょ?でも純血ってもはや「地球的」じゃないし、もはや19世紀的な思想だよね。
人はやっぱり「歩く生き物」「移動したい動物」なわけ。だから様々な乗り物を発明してきた。だから移動して、当然交わるよね。それを止めようとすることって不自然なんだよ。
これからもっとこの「ミックスチャー現象」は進むと思うし、近未来の世界ではもう「人種」という概念がなくて、全員が混ざって「人類総雑種」になるんじゃないかって(笑)。
で、雑種って強いでしょ?
そうやって、全然違う自然環境の中で生まれた人々の血やカルチャーが混ざっていった結果、本当の意味での「Oneness」が生まれて欲しい。何人とかもう関係なくなってる状態で、シンプルに全員が「地球人」という(笑)。
そんな美しい「共生思想」がベースとなった、本物の「地球的価値観」が生まれるんじゃないかって思ってる。それこそが人類が目指すべきところなんじゃないかって。その実験的な一つの結果がNZにあって、その部分をもっとも日本に紹介したい。
真司:自分と意見が違うからって相手をつぶすのではなくて、友人の座右の銘であるボブ・ディランの言葉を拝借すれば「君の立場で言えば君は正しい」、って相手を認めて、リスペクトする。
そういった目に見えない層で、少しずつミックスされものがしみ出して表面的にも現れて、見て感じることができるのが今のNZなんじゃないかな。
〈Photo. Jiro Hirayama〉
「共生」と「自身のアーティスト性」。
インタビュアー:これは考え過ぎかもしれないんですけど、今回森を歩いてみて植物の話を聞くときに必ずと言っていい程「着生」っていう言葉が出てきたのが印象的でした。寄生ではないんですよね。そういう森の力の影響があるのかななんて思ったんですよね。
真司:「着生」と「共生」。結局、森の中に入っていって、そういう世界が存在するのを見て、自分の気づかない深層心理で影響を受けているっていうのはあるかも。
四角:確かに、フィヨルドランドの森の「赤ブナ」が、単体で立っているのもキレイかもしれないけど、多種多様な着生植物がまとわりついているブナ、って一本の木なのに森のように神々しくて、なんていうか、神のようなオーラをまとっていて、対峙するだけでドキドキするよね。
インタビュアー:「世界」がある感じがします。
四角:森を歩きながら、シンちゃんに「着生」の説明してもらって、「あー、だからそのオーラというか、命の迫力を感じてたんだ」って意識レベルで気付けた。
真司:見ていてパワーがあるでしょ、すごく。共生のパワーっていうのがあるんだろうね。僕も今まであえてそんなに言葉にはしていなかったけれど、確実に感じるよね。
単体の木が一本立っているわけではなくて、コケがびしっとついて色々な植物がまとわりついて、枝の間からまた別な植物が上には枝を下には根っこを伸ばしてって、すごく複雑なわけじゃない。あのコンプレックス(複雑さ)が、ここの森の「極相」で一番安定している状態なんだよね。
四角:人類はまだそこまで辿りつけていないってことだね。
真司:だろうね。で、きっと森が提言してくれているのかもよ。「お前ら何か感じないか?」って。森を歩く中で色々なヒントを見せてくれている。
四角:本当にそう思う。「人類たちよ、早くこの段階までおいで」って優しく言われてる気がする。
真司:そうすると、やはりさっきの話に立ち返ると、そうやって多くの人が自然の中に入っていくことで、完全な答えとしては受け取らなくても、あの姿から感じるエネルギーを取り入れることによって、一人一人が少しずつ変わってきて、それが大きい流れになっていくのかもしれないね。
インタビュアー:頭ではわかっていたり、映像を見たこともあったけれど、3日間歩いてみるという行動がそれなりに自分にしみてくるというのを感じました。
それでは最後に、読んで頂いた方へのメッセージをお願いします。
真司:来て、見て、触ってじゃないけれど、多くの人に実際のこの国を身体で感じて欲しい。この森に身を置いてみてよ、っていう気持ちですね。
四角:「他者を認め合って、交じり合う」という思想を一足早く実現してるこの国を体験して欲しい。とにかく、来て欲しい。
頭で考えたり眼で見る以上に、心と体で感じて欲しい。心でしっかりと感じるためには、自分の奥から出てくるどんなに小さい声も聞き取れるくらい、自分を完全に解放した状態で来て欲しい。ニュートラルな状態で。
真司:良いこというなぁ。「来てみてよ」っていう次に、この国の「ミックス感」を受け入れるために、自分を解放して来て欲しいよね。そうした状態でここに入り込めれば色々吸い取れるし、より他者を認めることができるようになる。
四角:さらに、自分が何者かというのがわかる。日本の場合は他者を認めるという以前に、「自分のことを好きでいられていない」ことが多いよね。ニュージーランドはそういう、自分を好きになるきっかけをも見つけさせてくれる国だから。
美味しい食事やワイン、素晴らしい景色や人々とも、もちろん出会えるけど、自分が本来持っていて、普段は眠ってしまっている「根源的な何か」、ぼくはこれを「誰もが持っているアーティスト性」って呼ぶんだけど、それを見つけることができるかもしれない。
インタビュアー:ありがとうございました!
All photos by Jiro Hirayama
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