今回の日本への一時帰国では、全国20以上の大学での講義と、アウトドア雑誌のロケ撮影で、北海道から沖縄まで駆け回った(2013当時)。
ニュージーランドという、もう一つの生活拠点を得たことで、今回の滞在では、日本の自然について改めて見えてきたものがある。
郊外の、人間と自然が共生する日本独特の里山風景。
そこから、さらに遠く離れた奥地に残る荘厳な自然。
中でも登山雑誌のロケで訪れた年間降水量8千ミリを誇る水の王国、屋久島が圧巻だった。
海抜ゼロメートルから歩き始め、九州最高峰の宮之浦岳(標高1,936 m)に登頂し、反対側まで歩いて再び、海抜ゼロまで降りる、「0 to 0(ゼロ・トゥ・ゼロ)」と呼ばれる、ほとんどの人がやらないハードな登山をやってきた。
この4日間の登山は苛烈(かれつ)だったが、清らかな雨が深い原生林を育み、森が生み出す純粋な水が、豊かな海を創るという、圧倒的なほど美しい自然界の循環を、体感することができた。
そして、そんな森と海がもたらす命が、ぼくらの体をつくる、という当たり前の事実を、改めて肌で感じることができた。
この「水の循環」をたどるような屋久島縦断を通じて、水は命の源であると改めて確信。
〈Photo. by Daisuke Yosumi in NZ〉
都市空間にいると、水道をひねればドバドバと水が出てくる。つい人は、水は無限だと勘違いしてしまう。だがすべての水は有限だ。
湖沼河川などの表層にある水や、浅い地下水など、地球上で人類がすぐに使える淡水は、全体のわずか0.01%。
17年後には、世界の水需要が供給を4割上回るという研究結果がある。
世界保健機関(WHO)によると約11億人が、いまだに安全な水の供給を受けられずにいる。
これまで日本が、豊かな水を享受できたのは、海に囲まれた独特の地形と、世界トップレベルの高い森林率のおかげだ。
しかし、今この日本の水をめぐり、「争奪戦」が水面下で繰り広げられている。外国資本が、日本の水源地を買いあさっているという。
水は「万物の母」。
失ってからでは遅すぎる。
ぼくらはもっとこの貴い「命の資源」の保全に神経をとがらせるべきだ。