全長65km、累積標高差6,700m。

越える山は約20峰。
〝日本列島の屋根〟北アルプスの峰々を
一週間かけて歩く。


構想1年、準備2ヵ月。幼少からの夢は叶うのか。

「衣料、全食糧、住居」すべてを
バックパックで背負い、歩き通すという



もっともインディペンデントなスタイルでの
山の旅、全記録。


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▶︎ 文&モデル:四角大輔|Daisuke YOSUMI
▶︎ 写真:山岳フォトグラファー加戸昭太郎|Shotaro KATO  ▷ instagram
( 取材日:2011年10月4日~10日)



▽シリーズ《1週間テント泊ソロ縦走》
前編:小学生のころ見上げた、夢の天空路へ。【1週間テント泊ソロ縦走|前編】
中編:この神々の聖域を、一生忘れないだろう。【1週間テント泊ソロ縦...
後編:空と大地の間に生かされ、歩を前へ。【1週間テント泊ソロ縦走|後編】 

一年かけて計画してきた大宇宙歩行


「ここ上高地から立山・室堂まで、ずっと山の上を歩いていけるんだぞ」

小学生のころに聞いたこのひとこと。
夏休みになると、母方のルーツである長野県松本の野山で遊んでいた当時のぼくにとって、街から見上げる北アルプスは「大宇宙」だった。



立山といえば富山県。
小学生のぼくが長野県の上高地からみると、「遙か彼方にある遠い場所」だ。



当時のぼくの頭の中にある地図がまったくつながらず、人間の足だと一ヶ月くらいかかる、と思い込んでいたほどだった。でも実際には、わずか7日間で踏破が可能とあとで知る。

あれから30年、そのヴィジョンをいよいよ具現化しようと決意。
それからの1年間、思考は「上高地〜立山・室堂」をどう歩くか、に支配されてしまう。



全貌を把握すべく、昭文社の『山と高原地図』を広げる。

1/5万の尺図だとひとつの地図には収まらず、「槍ヶ岳・穂高岳」と「剱・立山」の2枚が必要とわかり、今回の縦走の規模感を改めて実感。
北アルプスにはかなり多くの山小屋があるが、テント場の数が少ないため、テント泊だとルートに制約が生じることも判明。



雑誌や書籍リサーチも並行させるが、この区間を縦走した記事を発見できない。
ネット検索すると、いくつかの山行記録がヒットした。

だが、それらのほとんどは、南下ルートの「立山・室堂〜上高地」だ。室堂の標高は約2,500mもあり、上高地は約1,500mと、1,000mほど低い。登山者の心情的に、高いところから入って、低いところへ抜ける方が、肉体的には楽だからというのが、その理由だろう。

だがぼくは、我が登山のルーツである上高地から入りたかった。
この、ぼくにとっては第二の故郷・長野側から歩き始めたいという想いと、これはあくまでぼくの思想的な部分だが、「奥から手前へ」ではなく「奥へ遠くへ」向かいたい、というぼくのポリシーもあって、「北上」したかった。



北上ルートは、累計標高差も増えて難易度は上がるが、優先すべきは「気持ち」でありテンションだ。
人間は気分の生き物。気分ひとつで肉体的に過酷な登山は大きく左右される。ぼくは、大自然への冒険をするとき、もっとも注意を払うのは、ぼく自身のモチベーションなのだ。

その間、トレーニングとギア選定テストも兼ね、日本とニュージーランドで8つのロングトレイル・計400kmを踏破。
iPhoneとMacでクラウド同期できるメモアプリにルート案を何度も書き込み、試行錯誤を繰り返しながら5つのルート案を抽出。

全準備が整い、最終ルートが確定したのは1年後だった。

〈DAY1〉
感謝と畏敬の念を心に、偉大なる山域に踏み込む


吐く息が白い。冷気で顔がピリピリする。
10月3日、上高地。初日のコースタイムは7時間半。

1年間、地図を見てきたので、登山道にある小屋や水場の位置、エスケープルートは完全に頭に入っている。そう、ぼくはすでに頭の中で、妄想の中で、何度もこのルートを歩いているのだ。



「①山頂にはこだわらない」
「②でも槍ヶ岳は登頂したい」
「③雲ノ平の詩人・二郎さんに会う」

といった3大テーマを今回は掲げていた。

「完歩」という最大目標のために、①のような「優しい自己ルール」を決めておくことで、多くの事故原因である「無理をする」という危険な思考パターンを封印できるのだ。
②と③に関しては、後述するつもりだ。



横尾山荘までの3時間は、小学生のころから何度も歩いた平坦なトレイル。
まるで、これからの長い旅路の序章のようだ。



そのあとは梓川沿いのゆるい登り。
清流の音が心地よい。

縦走初日にいつも行なう「体との対話」をしながら進む。足の裏は?足首は?スネは?膝関節は?モモは?と、下から上に向かって順番に各部位の調子を確認しながら、なるべくゆっくり歩き進める。

よし、体のどこにも違和感はない。
そして、バックパックにはなにも無駄なものはなにも入っていない。

体調、荷物、そして心のすべてが万全だ。



ババ平の槍沢キャンプ場に到着。

明日からの冒険に備えて、心の洗浄をすべくテントの中で瞑想をする。夢が叶いつつある興奮のためか、いつものような無心になれない。
でも外は、翌日に猛烈な嵐に襲われるとはまったく想像できない、穏やかな夕暮れだった。

〈DAY2〉
槍ヶ岳は霧に。そして、みぞれ、雹、豪雨、突風。


夜明け前に目覚める。
テントの外に出て、息を深く吸いながら空をあおぐと、眩しいくらいの星空が広がっていた。



時計を見ると午前2時。

昨日は予定よりも早く、午後1時に到着していたこともあり、午後7時には熟睡モードに入っていた。
最高の睡眠を得られたこともあり、疲労感はゼロ。いい感じだ。



天気予報では、午前中から雨が降りはじめ、午後にはかなり荒れるとのことで、ヘッドランプを付けて午前4時半に出発。
大雨と強風が発生する前に、最初の山、槍ヶ岳に登頂しておきたかったのだ。



しばらく進むと急登が始まる。歩きながらまだ見えぬ槍ヶ岳の方向を見上げていると、だんだんと薄い雲が天空を覆いだし、星が消えてゆく。
残念ながら、まだ登坂の途中、槍ヶ岳分岐の目印を越えたあたりから雨が降りはじめた。



小雨の中、登山者泣かせの最後の急坂を登り切ると、深い霧の中にぼんやりと槍岳山荘が現れる。

午前8時。
コースタイムより1時間ほど早く到着。



少し休憩し、行動食を食べ、バックパックを山頂ふもとにデポ(置いておくこと)、小さなアタックバックひとつで槍ヶ岳山頂を目指す。

雨に濡れて滑りやすくなったハシゴや岩場に注意しながら進む。



悪天候のおかげで、ほかにだれもいないことが功を奏して、思ったよりスムーズに登頂。
ここからゴール地点の立山方面を望むつもりが、残念ながら眺望ナシ。



でも、ここに立ったという「事実」は残る。
それは「心の宝物」となり、今日を含む残り6日間、ぼくの心をゴールまで「導いて」くれるのだ。その理由は、あとで何度も出てくるので、ここでは割愛したい。

西鎌尾根に出た瞬間、猛烈な風が金切り声をあげながら真横から吹きつけてくる。
雨とみぞれに混じって、霰がバンバンバンとぶつかってくる。



そこから双六小屋キャンプ場までの尾根歩きの間は、ほとんど記憶がない。寒さと突風の恐怖におびえながらの、壮絶な数時間だった。
途中、一度だけ、穴が空いたように雲が薄くなり、東側に異様な赤褐色をした硫黄尾根が姿を現してくれた。ギフトだと思った。



何とか双六小屋キャンプ場に着くも、雨は止む気配がないため、やむなく大雨の中テントを張る。他にはテント客はほとんどいない。大雨と風の中テントを張る作業は、さすがに滅入るが、気分は高まったまま。

そして、今日もニュージーランドから買ってきた高栄養価を誇るフリーズドライ「Backcountry Cuisine」を夕食にいただき、午後7時には就寝。

これこそが、ぼくの山での楽しみのひとつ「超早寝早起き生活」だ。これによって、ぼくの肉体は街にいる時よりもパフォーマンスが上がるのだ。

(中編へ続く)



▽シリーズ《1週間テント泊ソロ縦走》
前編:小学生のころ見上げた、夢の天空路へ。【1週間テント泊ソロ縦走|前編】
中編:この神々の聖域を、一生忘れないだろう。【1週間テント泊ソロ縦...
後編:空と大地の間に生かされ、歩を前へ。【1週間テント泊ソロ縦走|後編】