まずは先週のメソッドの要点をおさらいしよう。
・「自分だけの空想=独自のアイデア」を「形=作品」にして、多くの人に届けるためにはどうしたらいいか?
・そのために第三者を巻き込む方法と、その心構え(=5つのステップ)
今週は、ぼくの経験をベースとした「ヨスミ式チームマネジメント」について。
レコード会社のプロデューサー時代、そしてフリーランス転身後の多岐にわたる仕事を支えてくれた、〈チーム・デザイン思考〉の実践例をお届けしたい。
ここで、ふと思ったことがある。
先日のまりちゃん @Mari/吉岡麻梨 たくくん @TAKU/吉田拓哉 とのインスタライブで、持論の「コミュニティ4.0」をテーマに話したとき、ぼくはこういうようなことを言った——
「人生とは、コミュニティを軸にデザインされていく」
「コミュニティを考えずに、人生デザインはできない」
——と。
▼インスタライブ「コミュニティ4.0の秘密」
https://www.instagram.com/reel/DFRpM1CSuw1/?igsh=MXJiOGhmcjh1dzFnYw==
コミュニティの最小単位は「パートナーシップ」であり、その次は「家族」、その次は「仲間」。
コミュニティはさらに、「ご近所さん」→「暮らす街」→「国」→「世界」へと拡張していく。
ちなみに——約250万年という人類史の99%を占める——過酷な狩猟採集時代を生き抜くために、数十人の「家族×仲間」という〝身内コミュニティ〟で移動しながら助け合っていた。
我々のDNAには、この「数十人」までを「身内」と意識できるが、「その外にいる人」と「身内」を分断して考える傾向があるという。
そう考えると、人間の意識の狭さに悲しくなってしまうが、ぼくは希望を失っていない。
人類史を学ぶとわかるが、約1万2000年前の農耕革命以降、祖先が定住して、充分な食料を確保できるようになって以降——永い年月を重ねながら、〝身内コミュニティ〟の人数は、「数十人」から「100人単位」で増えていく。
その後の世界史をひもとくと、〝身内コミュニティ〟はその後、——「宗教」「人種」「国」単位と、拡張してきたと言えるのではないか。
もちろん現代において、その「宗教」「人種」「国」間で行われている差別・テロ・紛争は、最大の社会課題となっているが、永い永い人類史で捉(とら)えると、人類の「身内意識」は、数十人という狩猟採集時代から、確実に拡張し続けてきた——そう考察できる。
そう考えると、中世・近代・現代における、「宗教」「人種」「国」間における分断は、とても悲しい事実だが、未来への過渡期なのではないかと思えるのはぼくだけじゃないはず。
拙著『超ミニマル・ライフ』のSTEP7で力説したように「80億人という超巨大な「世界コミュニティ」全体を〝身内〟と意識できる日は確実に来る」——そう信じている。
そして、3歳の我が子や、次世代のイケてる若者たちの、上の世代と違う意識・行動をみて、改めてぼくそう確信している。
(その時を目撃するために、ぼくは長生きしたいと思っているのだ)
このテーマ、つい熱くなってしまうので脱線してしまったが話をまとめると——
つまり、今月の〈チーム・デザイン〉のメソッド&ワークとは——損得でつながるドライな仕事のチームではなく——「志や想い」という共通の価値観で集まる「コミュニティ4.0」をデザインする技法ということ。
そして、人生デザインの軸になる——心と心でつながる「身内コミュニティ」のつくり方でもある——ということなのだ。
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【今週の先出しハイライト】
・大切な「志」を共有できる人を〝自然な形〟で集めよう
・それぞれが才能や強み、特徴を最大に引き出し合い、尊敬し合うフラットなチームをつくろう
・「志や愛」「ビジョンや想い」という「土台」を共有し、「前向きなぶつかり」を恐れずに意見しよう
・ビジョン(=志)をしつこいくらい共有し、細かい指示は出さないように心がけよう
・リスクを取って支えたり応援してくれた「恩人」をとことん大切にしよう
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まずは、2018年に解散したぼくのクリエイティブチーム「T4」を紹介しよう。
「T4」とは、チーム(Team)ヨスミ(四角)の略で(笑)、解散の翌年にマネジメント会社「RIDE Inc.」にぼくの身を預けるまで、10年近くぼくのさまざまな表現活動をサポートしてくれた。
・四角大輔 公式メディア〈4dsk.co〉の運営
・各公式SNSでの情報告知
・四角大輔トークライブ運営
・執筆サポート
・さまざまなブランド・企業・アーティストのプロデュース
・〈Lifestyle Design Camp〉運営 ...etc
さらに、ぼくが携わった多くのクリエティブワークを一緒に手がけたりもした。
メンバーはとにかく多種多様で個性豊か。
まるで1本たりとも同じ樹が存在しない「原生林」のようだったことを今でも思い出す。
つまり、同じ種の木がズラッと並ぶ「人工林(同じ太さと高さの杉だけの林など)」ではない、ということ。
メンバー全員が「その人特有のスキル、特技」を必ず持っていた。
「ずば抜けた能力もあるけど、デキないことは素人以下でまったくダメ」。
そんなぼく(=ガタガタでいびつな生物✌️)を、見事に補ってくれたのだ。
<懐かしい中期メンバーたちと芝生ピクニック。ここから多くの仲間が巣立ち、それぞれの世界の第一線で活躍している!>
T4の特徴は以下に集約できる。
個々の特技を活かし、それぞれが独立した事業や学業(10代の学生から40代の社会人までと幅広い!)を持ちながら、T4のプロジェクト単位で参加する
そして、お金以外に得られるギフトとして次があった。
◎T4の仕事を通して、最新の働き方ノウハウ、ぼくの豊富な人脈、クリエイティブの技術、ビジネススキルを得られる(四角大輔による人生相談付き!)
◎オマケ…(当時はアウトドアの仕事を多くしていたので)各社から提供されるギアやウエアで、型落ちしてメディア上では着れない・使えないものをプレゼント♬
などなど…ある意味、報酬以上のお金では買えないものを提供できる点も強みだと思っていた☺️
近年、「フリーランス的にプロジェクト単位で働く=ギグワーク」スタイルは一般的だが、当時の「T4」はその先駆けのようなチームだったと言えるだろう。
ある学生から「斬新でおもしろいから卒論のテーマにさせて欲しい」と、メンバー全員が長期取材を受けたこともある(笑)。
レコード会社プロデューサー時代の無数のトライアンドエラーによる経験と反省が、ぼく独自のチームデザイン哲学を生み出したといえる。
数々のミリオンヒットや社会現象、ムーブメントを創出できたのは——ぼくの個人プレイでは決してなく——大切な仲間たちとの壮大な〝チームプレイ〟だったからだ。
今回は、T4のマネジメント方針のベースとなっていたこの「〝ヨスミ式チームデザイン〟」のポイントを、ぼくのチームデザインの歴史を辿りながらお伝えしていく。