今月のテーマ〈チーム・デザイン〉も最終週。
社会的な生き物である「人間」は生まれつき、
「人と関わっていかないと生きていけないという性質」がプログラムされている。
しかし、そうは言っても「人と関わること」は、面倒で複雑。
ぼくは、人間嫌いだった時期に——人付き合いの「面倒さ」から逃げるために——ひとりで自然の中に身を置くことを選んでいた。
しかし、これは人間にとって重要な「人との関わりを求める」という性質に反した行動になる。結果、つらい日々を過ごすことになる。
つらさを感じてしまうのは、なぜか。それは、人間は、他人との関係性の中にこそ「真の幸せ」を感じるものだから。「人間否定&自然崇拝」から「人間も自然も大好き☺️」となった今だからこそ、こう言える。
人との間に生まれる「愛情と理解」こそが、他者と自分を幸せする。「理解」とは「共感」という言葉に置き換えることもできるだろう。(だからきっと、人のことを「人間」と書くのかもしれない)
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【今週の先出しハイライト】
・「愛情」と「理解(共感)」の両方をもつ、リアルプロデューサーを身近に置こう
・ライフパートナーと、人生のビジョンやライフテーマを共有しよう
・お互いを信じ合い、リスペクトし合える「ソウルメイト」を持とう
・人に喜んでもらえる得意技を交換し合い、ご近所さんを「チーム化」しよう
・真のチャンスは、利害関係の発生しない緩やかな「3rd Place=コミュニティ4.0」から生まれる
・あなたにとっての「心のホームプレイス」とは
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人生では、生きるための最低限必要な「衣食住」以上に、大切な存在がいる。
ぼくはそれを「愛情と理解ベースの、パートナー・家族・仲間・ご近所さん」だと思っている。
どんなに大金を得ても、社会的な大成功を手にしても、あなたにとって最も大切な〝居場所〟である「パートナー・家族・仲間・ご近所さん」との間に、「愛と理解」が存在しなければ、人は絶対に幸せにはなれない。
「愛」を「愛情・慈愛」、「理解」を「共感・承認」と言い換えてもいいだろう。
「真の幸せ」は、「日々の小さな喜び」を分かち合える人がそばにいることで初めて手にできるもの。
これはまさに、ぼくが小学生の頃に気づいた「〝今生きていて、最も感動する一瞬〟を、なるべく多く持つことで楽に生きられる(=幸せな人生につながる)」という持論と同じだ。
そして、有名な格言「幸せは質じゃなく量」とは、1つの大きな幸せ(=質)より、小さな幸せがたくさんある方(=量)が幸せという意味。
(これは、「そこそこ大きな幸せは買えるけど、日々のささやかな幸せは買えない」ということを指している)
〈チーム・デザイン〉に重きを置く思考は、単に仕事やプロジェクトを成功に導くユニットを創ることだけが目的ではない。身近な人との関係性を〝チーム化〟していく考え方、流儀でもある。
今週は、「より身近な存在との関係性において、どう〈チーム・デザイン思考〉を取り入れるか」。
その大事な視点をお伝えする。
【チーム・デザイン思考を、身近な関係に活かす5つの視点】
1. 〝リアル〟プロデューサーを身近に置く
ぼくは、大学生向けの講義やトークライブで「人生における、あなたの〝リアル・プロデューサー〟を探してください」と、必ず伝えていた。
〈LifestyleDesign.Camp〉のメンバーなら、もうおわかりだろう。
〝リアル・プロデューサー〟とは、あなたを常に気に掛け、客観的に見てくれる人。
強みを引き出し、心から応援してくれる存在のこと。
これも繰り返しになるが——見つけるポイントは、シンプルに2つ。
① あなたのことを愛している(=愛情・慈愛)
② あなたのことを認め、理解しようと努力している(=共感・承認)
「愛」と「理解」は似ているようで、実は違う。
両方がそろってはじめて、リアル・プロデューサーと呼べる。
「お前のことを思って言ってるんだぞ!」
親や親族、先輩や上司から誰もが言われたことがある言葉。
このアドバイスには、①の「愛」はあるかもしれない。
しかし、②の「理解」がないということがはっきり感じ取れるだろう。
①②のどちらかが欠けた状態で助言する行為は、「オーバー・プロデュース」(=理解や愛の欠如に気づかずプロデュースしすぎてしまい、間違った方向へ導くこと)。
ぼくが音楽アーティストのプロデュースをしていた時に、最も気をつけていたのがこの行為。
これは「プロデューサー → アーティスト」に限らず、「親→子ども」「年配者→若者」「先生→生徒」「先輩→後輩」と、あらゆる関係においても絶対にやってはいけないものだと考えている。
もしあなたが「自分はオーバー・プロデュースを受けてるかも」と感じた時は、その助言やサポートは完全に無視しよう。
「愛」がない場合は、たとえ家族であっても、ぼくは距離を置くようにしている。
子どもは「親や兄弟・姉妹」は選ぶことができない。そして、残念ながら血のつながりだけでは、「リアル・プロデューサー」になる資格はない。
血のつながりによる「愛」は、自然に生まれることもあるかもしれないが、多大な努力と精神的な鍛錬(たんれん)を要する「理解」に到達できるとは限らない——とぼくは考えているからだ。
(ちなみに、子どもは親を選んで生まれてきてる……というスピ系の説をぼくは信じない……なぜなら、日本で「約5日に1人」の割合で、親に殺される子どもがいるのだから)