その日は突然に。


構想15年以上。永住権取得のために費やした年月は丸3年。

あまりにも長期間、「いつかはニュージーランドに移住」と言い続けていたので、友人や古い仕事仲間には「あいつはいつもニュージーランドの話をするけれど、結局ずっと東京で働いているんじゃないの」と、オオカミ少年扱いで呆れられていた。

最終的に永住権が手もとに届いたのは2009年12月。
それから1ヵ月経たない大晦日、当時担当していた絢香が出演するNHK紅白歌合戦を最後の仕事として退社。そのすぐ2週間後の、1月中旬にはニュージーランド入りしていた。



一刻も早くあの地で暮らしたいという思いが募り、長い時間をかけて熟成させた夢だったにもかかわらず、永住権を手にしてから入国するまで、バタバタと急転回でものごとを進めた。

向こうでも使いたいと13年間乗り続けたボロボロの4WDのバンを輸送すべく手続きをしようとすると、約1年前にニュージーランドの法律が改正されていて、我が愛車は排ガス規制で持ち込みできないことが判明。

あとは最初から移住を意識し、中古の家財道具ばかりだったため、別途コンテナ便で送る物も特になし。

ただ、10年以上暮らした部屋の整理をしながら、ゴミ捨て場とリサイクルショップを何度も往復すると、出した不用品は合計で5tトラック約2台分となり、ゴミは70ℓ袋で30個を超えた。

物欲も所有欲もなかったはずの自分が、こんなにも多く物を所有していたことに改めて驚く。まるで人生と自分自身の整理をしているようだった。そして、「超身軽」という今まで味わったことのない快感に、身震いをした。

75kgの荷物で新地へ引越し。


アウトドアウエアを可能なかぎり詰め込んだ大きなバックパックを背負い、フィッシングと登山ギア満載のトランク2つと、釣竿がギュと詰め込まれたバズーカ砲のような巨大ロッドケースを担いで成田空港へ。

めちゃ重いな...と思いながらチェックインカウンターにたどり着き、総重量をはかると75kgだった。ここまで運ぶ荷物としては重いかもしれないが、この先、あの国で暮らすことを考えたら「わずか75kg」と言えるだろう。

12月からの移住の手続きと作業に追われていたため、疲労度はピークに達していた。さらに荷物の整理と梱包で、出発前夜と前々夜はほとんど寝ていなかったこともあり、搭乗するなり座席シートで深い眠りに落ち、そのまま着陸するまでまったく目覚めなかった。



ちなみにぼくは、住む家が決まっていない状態で旅立った。

10時間半のフライトで着陸したオークランド空港から車で1時間ほどの、しばらくお世話になる先輩宅に着くなりすぐに爆睡。そのまま朝まで寝続けた。

計算すると、成田を経ってからの30時間中、なんと25時間も寝ていたことになる。こんなに眠ったのは、赤ん坊の時以来ではないだろうか。

長く深い睡眠のあと数日間は、達成感と安堵が入り混じった複雑な感情で放心状態となり、過労からの体調不良も重なり、何も手につかなくなってしまった。メールの受信ボックスは未読メールで溢れているが、開く気にも、返信する気にもなれない。

住む国を替えるということ。


しかし、そんな休息もつかの間で、すぐに現地でやらないといけない手続きに奔走することに。住む国を替えるというのはたいへんなことなのだ。とここでまた、当たり前のことを痛感する。

とにかく、これは単なる引越しではないのだ。運転免許の書き換えや携帯電話の契約など基本的な作業。在外届けや納税者番号の取得など初めて経験する手続き。そのほか想定していなかった無数の細かい雑務が山積みだ。

オークランド市内のバスやフェリーなどの公共の交通機関を使い、慣れない土地で外国語に囲まれながら行なうため要領が悪く、あっという間に一日が終わる。毎晩、クタクタになってベッドへ倒れ込む...を繰り返す。

しかも、家ナシなだけでなく車もない。当然、夢にまで見た「釣り三昧生活」にはすぐにはならない。そんなに人生は甘くないのだ。

結局、その先輩宅に10日間も居候を続けた。さらにその後、ニュージーランド人の釣り友だちの自宅に9日間と、20日間近くも、他人様の食住のお世話になることに(しかも無償で...)。

その間、他のいろいろな場所でも、人のサポートに助けられることに。

まったく無関係な人間に対して、この国の人はこんなに親切になれるものなのか、と何度も涙した。今日ここに至るまで、何回「ありがとうございます」と感謝の気持ちを言葉にしてきたことか。



そして何よりも重要なのが、「住居」捜しだ。

これがないとぼくの移住生活は始まらない。もともとは、住みたいと思って手続きを進めていた、ある湖畔の家があった。だが、日本を出国する少し前に、諸事情でダメになってしまったのである。

実はこの時、「こうなったら普通の家に暮らすのはおもしろくない、キャンピングライフだ」と決めていた。

居候中に、ネットを駆使したり、街の中古キャンピングカー屋を捜しまくり、1台の中古のキャラバン(キャンピングトレーラー)を購入。それを、ずっと前から暮らしたかったある湖の畔にあるキャンプ場に停めて暮らすことにしていたのである。

湖畔キャンプ場のマネージャーに何度も交渉した結果、水際に一番近い場所を長期間格安で使えることになった。面積たった6帖程度と小さいが、そこから湖までの距離は何と徒歩わずか20歩!

かなり特殊な形だが、遂に、15年以上も夢見てきた「Lake Edge Life」が実現したのだ。




〈All of photos with no credit: Daisuke YOSUMI〉