ぼくにとって究極のノイズレスな世界は「矛盾がない大自然の中」か、「好きなモノだけに囲まれた空間」、というのは前号で詳しく書いたが、ここで話を終わらせると、勘違いしてしまう人が必ず出てくる。

ぼくが、「手放すこと」や「シンプル」をテーマに本を書き、トークライブをしていることや、人から時々、ミニマリストと呼ばれたりすることが、その誤解に拍車をかけてしまうのだろう。

「なにがなんでもモノを減らし無駄をなくすこと」だけが、ノイズレスな人生につながるわけではない。

大切なのは「何にフォーカスするか」ということ。
乱暴な言い換えをすると、「自分にとって本当に大切なことだけに集中し、他はすべて捨てる」ということだ。

この人生で最も大切な命題に挑戦し続けることが、真のノイズレス・ライフにつながる唯一の方法であるとぼくは信じている。

〈ニュージーランドの我が家で採れた果物、友人の画家による絵、妥協せず厳選した家具、禅的なデバイスと、良質なデザインやアートはいつも創造性を刺激してくれる〉

例えば、ニュージーランドの我が家の中はとてもシンプルで、必要最低限のアイテムしかない。持ちものもミニマルで、いつも最軽量クラスを選ぶようにしている。

でも、ある小さな部屋の一角は、無数の〝小道具〟と〝部品〟によって占拠されている。

これは、この国への移住の動機となった、30年ほどライフワークとして続けているフライフィッシングという特殊な釣りに必要な「フライ(毛ばり)」を作るための数々の小道具と鳥の羽などの材料だ。

その隣には、たくさんの釣り竿と、大小さまざまなフィッシングギアが所狭しと並んでいる。



この部屋は〝シンプル&ミニマル〟とは決して呼べないような空間。でもぼくにとっては、ここはもっとも居心地のいい場所のひとつ。

フライフィッシングに興味がない人にとっては意味不明のモノばかりだし、「そんなにたくさんの道具はいるのか」と思われるに違いない。他の人にとってここは、単なるノイズだらけの場所でしかないだろう。

でもぼくは、ここにあるモノひとつひとつの存在理由と、役割を説明できる。つまり、ここには〝不純物〟も〝不要物〟もないということ。

ぼくにとっては、「微生物から昆虫、野生動物から大樹まで存在すべてに意味があり、無駄がいっさい存在しない原生林」と同じレベルで、ここはノイズレスな空間なのだ。

別の例を出してみよう。

あるフィギュアコレクターの友人宅には、文字通り無数のフィギュアが並べられている。ぼくにとっては卒倒しそうなくらいノイジーな空間だが、彼にとっては至高の場所であり、ノイズレスワールドなのだ。

人生においてぼくがフォーカスしたいことと、彼のそれが違うだけで、それぞれの価値観において、それぞれが正解なのである。

〈自宅テラスに出れば湖と森だけの世界。ここはもっとも落ち着くノイズレスワールド〉

少し角度を変えてみよう。

ぼくとそのフィギュアコレクターは、興味のないことや大切でないことに対しては、お金も時間も一切使わない。だからこそ、本当に好きなことに集中投資することができるのだ。

しかし、多くの人たちはこだわりなく〝あらゆること〟に手を出してしまうため、結局はなにも手に残らない上に、ノイズまみれの生活地獄に陥ってしまっている。

そして、「まんべんなく」は、人間を特徴のない存在にさせてしまい、「まんべんなく」いろんなことに浅く手を出しまくって終わるほど、つまらない人生はない。

「選択と集中」という、耳にタコができるほど聞かされてきたこの人生のコツを遂行することで、本当の意味でのノイズレス・ライフを手にできるのだ。

そして、時間とお金を「何にどれほど極端に使うか」が、あなた自身の個性となり、あなたの人生をデザインする。
世の中の流行や他人基準ではなく、自分の心の声に従って、「時間とお金の使い方」に極端なほどのメリハリをつけることで初めて、あなたはアーティストとして生きられるのだ。

これこそが、ぼくが人生をかけて伝えたいメッセージのひとつである。

〈All of photos with no credit: Daisuke YOSUMI〉

▽シリーズ《ノイズレスライフ》

①<ノイズレスライフ・前編>集中力と創造性を取り戻す

②<ノイズレスライフ・中編>人生を決める選択と集中

③<ノイズレスライフ・後編>命より大切なものって?