毎朝、気分よく起床したい。そして素晴らしい一日の始まりを感じたい。そう考える人は多い。
しかし実際には、仕事や学校に行くのが億劫な日もあれば、ただなんとなく気分が乗らない日もある。
そんな時に、朝の気分を上げてくれるモノがあったらどうだろう。
朝起きて一番はじめに手にとるモノといえば、歯ブラシだ。
そして、それが自分のお気に入りで、かつ環境にも優しいものだったら、確実に朝の気分は変わってくる。
僕が見つけたのは、自然に還る歯ブラシ「turalist(美らりすと)」。
·天然木と天然毛から作られた日本製
·家具を作る際に出るブナの木の端材、食肉用に育てられた馬や豚の毛を活用
·持ち手(柄)の仕上げには天然素材のえごま油を使用
·完全プラスチックフリー、天然素材だけを使用
·日本人に合う小さめヘッド、口の奥まで届くようにブラシの先端を斜めにカット
といった特徴を持っている。
こだわりの製法、環境に配慮されたコンセプトに加えて、ミニマルで格好いいフォルム、そして従来の歯ブラシとの違和感のなさが、とても気に入ったのだった。
そんな歯ブラシがどのように作られているのか気になり、大阪府東大阪市にある、turalistを製造するブランド、Nhes.(ナエス)の工場にお邪魔してきた。
東大阪市は、昔から続く町工場が多く建ち、ブラシやハケの生産が地場産業の一つになっている。
Nhes.の工場兼事務所に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、何台かの金属製の機械だ。
金属部品やネジ、ゴムなどの無数のパーツが組み合わさっており、とても複雑な構造をしている。
昭和の時代から、もう何十年も使い込まれているそうだ。
この機械を使い、歯ブラシの持ち手であるブナの木に天然毛を植えていく。
機械を操るのは、70歳を超える女性の職人、西本さんである。
植毛職人として30年以上の実績を持つ、ベテランだ。
歯ブラシのヘッド部分には、毛を植えるための穴がいくつも開いている。
「この穴が、プラスチックだったらみんな均等だけど、木はどうしてもズレや個体差がある。せっかくの貴重な木材をダメにしないよう、一つひとつ丁寧に植えていくのよ」
そう控えめに語る西本さん。
よく見てみると、たしかに、木材は一本ごとに色や質感が異なっている。
そこに開けられた穴も、一見すると全部同じに見えるが、よく目を凝らすと微妙に穴の大きさが異なっていたり、向きが均一でなかったりする。
天然素材なので、一本ごとに質感が異なり、開けられた穴も均一ではない。それが味わいにつながっている。
その穴を目掛けて機械から毛が打ち出され、同時に真鍮によって穴の中に固定されていく。
打ち込みの向きが悪ければ、毛が抜ける原因になってしまうので、とても繊細な作業が要求されるのだ。
もの柔らかに話す西本さんだが、その視線は鋭い。
長年の経験と勘が成せる技だ。
植毛されたばかりの歯ブラシ
西本さんが植毛した歯ブラシの仕上げを任されるのは、植毛会社の社長である中山さんだ。
歯ブラシにするにはまだ長すぎる、植えられたばかりの毛を丁寧に機械でカットしていく。
仕上げは、歯の奥まで届くよう、先端を斜めにカットする。
この角度の付け具合にも、中山さんの経験と勘が光る。
(上)植毛されたばかりの歯ブラシ
(下)中山さんがカットした歯ブラシ。口の奥まで届くよう、先端に向けて細くなっている。
最後にブランドであるNhes.のロゴを刻印し、検品を担当するのが、turalist開発者の村中さんだ。
村中さんは、このNhes.の事務所近くにあるプラスチック製品工場の経営者でもある。
「存在価値がある物を提供する」を理念に、長年プラスチック製品を愚直に作り続けてきたが、2010年代になると世の中の潮目が変わりはじめる。
それまで人々の生活を支えてきたプラスチックが、悪者扱いされ始めたのだ。
「私自身、はじめはそれほど環境問題に関心があったわけではないんです。ただ、自分が誇りを持ってお客さんにお届けしているモノが、批判の矢面に立たされるようになってきた。そこに葛藤を感じたんです」
そう、村中さんは話す。
自身の仕事と世間の意識のズレに葛藤する中、2018年に訪れたオーストラリアで人生の転機が訪れる。
街中のスーパーマーケットで売っていた柄が竹製の歯ブラシ。
「自分が探していたモノはこれだ!」
衝撃が走り、確信を得た。
折しも、2020年には東京オリンピックが開催される。
自然素材から作られ、環境に優しく未来につながるモノ。
そして自分には歯ブラシ作りのノウハウがある。
そんな歯ブラシを日本国内で作り、世界中から来日する方に使ってもらいたい。
それこそが自分に与えられた使命だ。
そう直感し、歯ブラシ作りを開始した。
しかし、プロジェクトは順風満帆には進まなかった。
海外で製造されている環境に配慮した歯ブラシを、片っ端から取り寄せては試してみる。
しかし、そのどれもが似たり寄ったりで、毛の部分はプラスチック製だった。
ヘッドは大きく、竹製の柄は口に入れると違和感がある。
これではダメだ。
自分が理想とする歯ブラシのプランを描いては修正し、日本で製造できないかと何社にも相談を持ちかけるも、ことごとく断られてしまう。
技術的に難しいことは、村中さん自身が一番よく分かっていた。
しかし一番の障壁は、口に入れるモノを木材と獣毛で作るという、歯ブラシでは珍しいことに挑戦するリスクを誰も取りたがらないことだった。
その後、いったん商品化を断念し、理想に近い海外製の歯ブラシを見つける。
日本代理店になるためにその会社と商談を進めていたが、その最中にコロナのパンデミックが襲い、すべてが白紙になってしまった。
すべてが終わったように思えた。
そればかりか、プラスチック製品製造の仕事さえ滞ってしまい、経営が危うい状況に追い込まれてしまう。
明日のことさえ分からない不安な日々の中、空いてしまった時間の中で、村中さんは自分の使命を思い出すことになる。
もう一度だけ、自分が理想とする歯ブラシ作りに取り組んでみよう。
そんな時、知り合いの家具職人に歯ブラシのことを話すと、歯ブラシの柄を竹で作ってもらえることになった。
自分の誕生日を、この歯ブラシの完成日にしよう。
再び、村中さんの挑戦が始まった。
家具職人とやり取りを重ね、試行錯誤を繰り返すうちに、ようやく納得できる柄の部分が完成した。
誕生日の二日前だった。
そして、完成目標日の当日。
植毛会社を営む中山さんが、廃業することを村中さんに報告しにきた。
中山さんの会社は、獣毛を植える特殊な技術を持っていた。
以前からその技術に興味を持っていた村中さんは、いつか中山さんとコラボした製品を作れないかと妄想していた。
今ここで話を切り出さなければ、妄想どころか貴重な技術も絶たれてしまう。
一か八か、村中さんは中山さんに依頼する。
「この竹の柄に、馬や豚の毛を植えてもらうことはできないだろうか」
廃業の覚悟を決めていた中山さんだったが、快く村中さんの提案を引き受けた。
目標日が過ぎ、再び試行錯誤を繰り返す。
そしてようやく、柄が竹でブラシが獣毛の歯ブラシが完成した。
すべて自然素材、そして地場の技術が詰め込まれた日本製の歯ブラシだ。
さらに、不思議な縁は続く。
家具職人から家具製作の過程で出る、廃棄処分するブナの端材を村中さんの歯ブラシに活かせないだろうか、との提案が舞い込む。
これで、より環境に優しい製品に近づいた。
使ってみると、ブナの方が竹より口当たりが良い。
これだ。
村中さんが理想とし続けてきた歯ブラシがついに完成した。
しかし、完成した製品も、お客さんに届けなければ意味がない。
一本一本、思いを伝え、手売りしていこうか。
一方で、村中さんはすでに廃業するはずだった中山さんと職人の西本さんを引き留めてしまっている。
もし、この歯ブラシが売れなかったら二人はどうなる?
開発当初から決めていた、歯ブラシのデビューはSDGsイベントの「ロハスフェスタ」への出展、という夢は、コロナ禍によりイベントが中止となったことにより、断念せざるを得なかった。
また、プラスチック製品の納品先からは、どうして競合となるような製品を作っているのかとお叱りを受けることもあった。
かつて感じたことのない、重いプレッシャーが一身にのしかかる。
自分がやっていることは本当に正しいのだろうか?
歯ブラシを完成させた自信と喜びは失われ、先の希望を思い描けない日もあった。
しかし、村中さんは決して諦めなかった。
注目したのは、クラウドファンディングだった。
これなら、一人でも多くの方に、この歯ブラシの良さを届けられるかもしれない。
決してWEBやインターネットに明るい方ではなかった。
それでも、文章を書いては直し、自ら画像を編集し、思いを込めてクラウドファンディングを立ち上げた。
終わってみれば、目標金額の10万円をはるかに超えた、67万円を達成する。
支援者は116人にものぼった。
「おかげさまで、興味を持ってくださる方が増えてきたんです。最近はリピーターの方もいらっしゃる。なにより、turalistの歯ブラシを使い始めたお客さんが歯医者さんから口腔環境が良くなったねと褒められるのが一番嬉しい」
村中さんの事業は、軌道に乗ったようにも思える。
しかし、問題がないわけではない。
「今、歯ブラシの柄は月に150本くらいしか作れない。手作業だから、職人さんのスキルに左右されるし、コストの問題もある」
「使っている植毛機械はもう製造されていないから、ネジ一本壊れたのを直すだけで数万円かかることもあるんです。また、植毛の技術を継承する人も育てていかないと」
それでも、村中さんは言う。
「2025年まではなにがあっても頑張ると決めているんです。この歯ブラシで、大阪·関西万博に協力や貢献をすること。それが、夢なんです。西本さんもそこまでは頑張ると言ってくれているし、自分も頑張らないと」
1970年に開かれた大阪万博は、日本の高度経済成長の集大成だった。
あの熱狂が続くと、多くの人が思っていた。しかし、その後の半世紀は環境汚染や低成長などがネガティブに語られることもある。
しかし今、新しい時代の課題であるエコロジーや環境との調和に、日本の成長を支えてきた町工場の技術と心意気が挑戦をはじめている。
2025年の大阪·関西万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」。
必ずや、村中さんの歯ブラシがその一翼を担っているはずだ。
turalistはモノづくりの町、東大阪を代表する地域ブランド品にも認定されている。
左から、turalist開発者の村中さん、植毛職人の西本さん、植毛会社社長の中山さん。
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