あなたは、「お産」と聞いて、どのようなイメージを抱きますか?

出産・流産・死産のご経験の有無はもちろん、
妊娠のご経験の有無、あるいはパートナーの有無、さまざまな背景によって、
みなさんの抱くイメージはそれぞれだと思います。

「お産」と聞くと、
なぜだか「産む」側のこと、と思われがちで、
自分には関係ない、と思われるかもしれませんが、
実は、そこには【産む】母と、【生まれる】子の、両面があるのです。
(もちろん、見守る/助けるバースパートナーの側面も。)

そして、そこに、確かな事実があります。
そう、あなたも「生まれた」のです。

ご自身がどのように生まれたのか、ご存知でしょうか。
それは、世界中どこを探しても決して同じことのない、
唯一無二の、あなただけの「バースストーリー」

それぞれの生い立ちがあり、それを知ることが難しいかもしれませんね。
あるいは、いま抱えている悩みから、知りたくないとも思うかもしれませんね。
もしかすると、「生まれた」こと「生きる」ことで苦しんでいるかもしれませんね。

もし、そういった思いを抱いているのであれば、知らなくてもいいのです。
ただ、それでも、わたしはあなたに伝えたいことがあります。

『生まれてきてくれて、生きていてくれて、ありがとう。』


あなたがバースストーリーを知っていても知らなくても、あるいは知りたくなくても、
今日、わたしは、あなたが辿った生きている軌跡の一部として、「お産」を語ります。

ヒトのお産のときに起こる奇跡、それは紛れもなくあなたにも起きていたのです。
あなたが生まれたとき、そこでは奇跡の連続が起きていたのだという事実。
今日、あなたに、その事実だけでも知っていただければ、幸いです。





わたしは、病院で勤務する助産師です。
お産の現場にいるわたしは、日々「いのち」と向き合っています。

先日の夜勤では、一晩で6名のご誕生をお手伝いさせていただきました。
そんなわたしの日常は、みなさんにとっては非日常かもしれませんね。
日常といっても、もちろん「日常=当たり前」ではありません。
わたしは、ただ奇跡を感じやすい場所に身を置かせていただいているのです。
(本来あなたの日常も、奇跡の瞬間がちりばめられ、その連続で生きているでしょう。)

わたしの日常でありつつも、決して当たりまえではない奇跡の連続。

「お産」

それは、【産む】と【生まれる】が辿る軌跡

今日は、現代の医学や科学で分かっていることや
人類の歴史を遡ることで見えていることをベースに「お産」を語ります。

前提として、わたしはオーガニックが大好きな、いわゆるナチュラリストですが、
現代の医学や科学を信頼しています。
助産師は、“正常”なお産のお手伝いができる国家資格を有しています。
“正常”を逸脱したとき、つまり、医師による介入が必要と判断されるとき、
その母子を救うために必要なこととして医学があり、
その医学の基盤として科学があるとわたしは理解しています。

エビデンス(科学的根拠)は、それを得るまでに相当なデータが必要です。
そのデータの元は、過去に失われたあるいは救えた多くの「いのち」です。
だから、わたしはエビデンスを無視することはありません。
多くの「いのち」を無視することと同義になってしまうと考えるからです。

ナチュラリストといえば〔自然〕なことを良しとしているから、
それに反する(かのように見えている)〔科学〕を否定する、と思われがちですが、
わたしは、〔自然〕を解明するために〔科学〕があると思っています。
その科学の力の集大成によって現代医療が成り立ち、いのちを救うことができるのです。

お産の話に至る前に長々と申し訳ありません。
この前提のお話を長々としていることは、わたしにとって大切なことだからです。

もちろん、“正常”なお産のお手伝いをする助産師として、
“正常”から逸脱することのないよう、最大限のお手伝いをさせていただきます。

“正常”を逸脱したとき、
ナチュラリストという一個人の思想により、現代医療の知識や技術を使わないとき、
それは単なる〔エゴ〕となります。

〔エゴ〕を捨て去るとき、
まさに生まれたての赤ちゃんのように、まっさらになれるのです。

例えば、蛹が蝶に変化していくとき、その中身はドロドロの状態になっていること、
ご存知の方も多くいらっしゃると思います。
あの、ドロドロの状態は、同じ生き物の、同じ細胞なのか?とても不思議です。

その過程を経て蝶となり、羽をもち、自由に飛び回り、花の蜜を吸うようになる。
姿形は違えども、一個体として同じ存在であることは間違いないのです。

〔エゴ〕を捨て去るとき、それは、ちょうど蛹が蝶になるように、
一度すべてドロドロになり、すべてを失うことで、まっさらになり、
一個体としては同じ存在だとしても、全く違う存在に生まれ変わるときなのです。

「お産」と対峙するとき、
「いのち」と真正面から向き合うとき、
〔エゴ〕を捨て去るとき、
あなたもまた、【生まれる】のです。

だから、わたしはナチュラリストでありながら、
かけがえのない「いのち」を救うために、
現代の医学や科学の知識を得て、技術を使い、「お産」と対峙します。
そこに、〔エゴ〕は一切ありません。

さて、前述の通り、助産師は“正常”なお産をお手伝いします。
医学的にできること、は確かに限られますが、
だからこそ、助産師にしかできないナチュラルなケアがあります。
そして、そのケアにも必ずエビデンスがあります。

繰り返しますが、わたしは現代の医学も科学も信頼しています。
そのうえで、【母の産む力】と【子の生まれる力】の存在を信じています。
その力を引き出す【助産の力】の存在を信じています。

エビデンスを無視することと、それぞれの力を信じることは、全く別次元の話です。

だからこそ、今日は、現代の医学や科学で解明されていることをベースにしつつ、
現代の科学をもっても未だ証明できていない、
あるいは今後も証明することは難しいであろうと想像する「お産」の神秘、
「 【産む】と【生まれる】が辿る軌跡 」について語っていきたいと思います。





それでは、前置きが長くなりましたが、本題に入っていきましょう。

【産む】と【生まれる】が辿る軌跡を語るにあたり、
そもそも、赤ちゃんって女性の体のどこに宿っているのか?ですが、
みなさんご存じの通り、子宮です。
子の宮です。
(子宮って名付けた人のネーミングセンス抜群だと思っています。)

では、子宮ってどこにあるかご存じでしょうか?
子宮は骨盤のなかに存在していて、膀胱と直腸の間に挟まれています。
ピンク色っぽい美しい肌色をしていて、とても愛らしい形の臓器です。
(臓器を可愛いと思うのは、変態だと分かっています。)683e3ca6d09bb1f0b479c39f5c459d8c.jpg 18.79 KB妊娠していない状態では、握りこぶし一個分程度の大きさです。
普段は骨盤の中に隠れている大変奥ゆかしい臓器なのですが、
妊娠すると徐々にその大きさは発育します。
妊娠後期には普段の約6倍の大きさとなり、子宮の厚さは8~9倍になり、
重さは約20倍の約1000gとなります。すごいですよね。
妊娠期間を、十月十日(とつきとおか)と言いますが、
約10か月間で、これほどまでに発育する臓器は他にありません。
(ご自身のお母様の子宮に万歳。)

子宮がそこまで大きくなると、ほかの臓器に影響はないのか?心配ですね。
しかし、そこで子宮の思いやりが発揮されるのです。
子宮の左側に存在する腸(S状結腸)を圧迫しないように、少し右に傾きます。
子宮の後ろ側にある大腸と小腸を圧迫しないように、前方に傾きます。
左下腹部にある腸(下行結腸)を圧迫しないように、時計の針の運行方向に回旋します。
(子宮のような思いやりある人間になりたいものです。)

実は、この子宮の思いやりですが、
ヒトが直立二足歩行をするようになって、始まったそうです。

直立二足歩行が始まると、子宮の出口が、真下つまり地面側を向くようになり、
重力の影響を受けることになりました。
そうなると、子宮の出口の締りが緩い場合、容易に早産となりますね。
わたし、当時の世界は行ったことがないのですが、
きっと外敵は多くて、いろんな生き物と戦っていたと容易に想像できます。
そんな状況のなかで直立二足歩行を始めたもんだから、子宮もビックリ。
そこで、子宮はどうしたかというと、
子宮の出口にあたる子宮頚部の組織をより強靭な結合組織に進化させたのです。

これにより、多くの早産からは免れることができるようになりましたが、
一方でお産のときには子宮口(子宮の出口部分)の開きに時間を要することとなりました。
(とはいえ、早産は現代も起こりますし、その原因は未だ明確には分かっていません。)

赤ちゃんが生まれるにあたって通る道を「産道」と言いますね。
(「参道」と重なるもんだから、これまたネーミングセンスに感動。)

助産師の言う産道には二種類あります。
これまでお話してきた子宮の下側と膣や外陰部から構成される、軟産道。
そして骨盤から構成される、骨産道。

直立二足歩行を始めたヒトの骨盤は、他の動物にはない特徴があります。
唯一ヒトの骨盤のみ、それを見れば生物学的性別(男女)が分かるのです。

こちらが生物学的に区別した男女の骨盤の違いです。20200421220932.jpg 135.26 KBこのような身体の違いが現れるのは、いわゆる思春期です。
専門用語では、第二次性徴期といいます。
女性ホルモンの働きにより、骨芽細胞という骨を生成する芽となる細胞が活発化し、
骨盤がより広く大きく形成されていきます。
「女性らしい」という言葉は語弊がありますが、「女性特有」の体型への変化です。

骨盤はいくつかの骨により構成されていますが、
直立二足歩行により、真下に向かって重力がかかるようになったため、
臓器の位置を守るため、子宮と同じように骨盤も進化していきました。
そのため、骨盤の下側はとても狭くできているのですね。

助産師が、骨盤を含めて産道と称するのですから、
お産のときに骨盤が大きな役割を担っていることは間違いないです。
では、その骨盤はお産のときに、どのように変化すると思いますか?

実は、動くのです。
イラストにある、寛骨・仙骨・尾骨がわずかに広がるのです。
知れば知るほど、ヒトの体とは、よくできているものです。

この狭い狭い産道に起こる変化は、「産む」側に起こる奇跡ですね。

では、「生まれる」側は、
その狭い狭い産道を通るために、どんな奇跡が起こるのでしょうか?

実際にお生まれになる赤ちゃんの体のうち、一番大きな部位は頭つまり「脳」です。
直立二足歩行を始めたヒトは、徐々に大脳新皮質という部位が発達し、
手足を自由に動かしたり、あるいは物事を理論的に思考するということを身に付け、
ヒトの進化の過程を経て、脳そのものの大きさが大きくなりました。

もし赤ちゃんが小さな状態でお生まれになれば、そのお産は楽なのかというと違います。
そもそも、ヒトの赤ちゃんは生まれて約一年しないと立つ/歩くことができませんね。
動物の赤ちゃんは生まれてすぐ立つ/歩くことができるようになるにも関わらず、です。
このことから、ヒトは他の動物に比べて約一年早産であるともいわれていて、
体の発育は生まれた後から成長スピードが増していくのです。

その一方で、脳の発達は非常に早い段階で進み、胎児期からの発達が著しいです。
つまり、すでに非常に脳が発達した状況でお生まれになっているということですね。

その赤ちゃんの脳つまり頭の部分、お産のときにどのように変化すると思いますか?
なんと、母体の骨盤が変化したように、胎児の頭蓋骨も変化するのです!20150908195653.png 103.99 KB赤ちゃんの頭蓋骨は数枚の骨で構成されていて、そこに間があるのですが、
お産のときには骨同士が重なることでその間を埋め、小さく変形してくれるのですね。

これまでお話してきたように、直立二足歩行がポイントとなり、
産道(骨産道/軟産道)の進化、ヒトの脳の進化を辿り、
それでもなお「お産」に適応すべく、母体も胎児も体を変化させて臨んでおります。

その変化は容易ではなく、それなりの時間を要しますし、もちろん痛みも伴います。

では、その≪痛み≫と≪時間≫を、どのようにして乗り越えて、
「産む」ことができているのでしょうか?

ヒト以外の動物のお産を、ぜひ動画配信サービスアプリなどで見てみてほしいのですが、
そこには産んでいる母親と生まれる赤ちゃんの他、手を出したりする者はいません。
そして、とても静かなことが多いのです。

直立二足歩行を始める前、ヒトのおかれていた環境は、
前述の通り、危険な自然界だったでしょう。
お産中の母親の声(絶叫することもあります)あるいは産声は、
その危険性を増していたであろうと想像できます。
それでも、安全に産み育てをし、こうして進化し、
人口が増えていった背景には何があると思いますか?

ヒトは、発達した脳をもち、感情をもち、
知性や理性をもち、≪支え合う≫ことを学んだのです。

それにより、家族や部族により母子を守り、
協働して出産や育児を支援することが始まったのですね。

直立二足歩行をし、脳を発達させたヒトの進化は、
こうしてさらなる変化をもたらしたというわけです。

つまり、ヒトという生物である限り、
母子を守るために家族や友人知人はじめ、世界中の人が一丸となって、
その産み育てを守っていくことは、普遍的であり当然の営みであると言えます。

生まれるときも、産むときも、生きていくときも、そこには愛があってほしいものです。

これで、お産中あるいは育児中の母子を身体的に守るという術は整いましたが、
それでもお産中の≪痛み≫や≪時間≫からは逃れられていませんね。

お産という言葉から「陣痛」を連想した方も多いでしょう。
陣痛が痛いこと、そしてその時間が長いことは、曲げることのできない事実です。

女性の身体の神秘性は、これまでお話してきた通りですが、
それと海やお月さまとの関連性もまた素晴らしいものがあります。
胎児を包む羊水は、海水とほぼ同じ成分だそうです。不思議ですね。

また、満月・新月の頃、あるいは満潮の頃にお産が多いように感じることもあります。
(実は、お月さまのサイクルとお産とのエビデンスはないのですが、
  現場にいる助産師にとっては、関連性を強く感じるのも事実です。)

陣痛は、波のようです。
寄せては返す、海の波。
お産は、海の波に乗るような感覚と似ていると思います。

始めは小さな波から乗り、そして徐々に大きくなる波をも乗りこなせるようになる。
ちょうど、船乗りさんが波に乗るときのように、来る波に身を委ねるのです。
目前にある波に抗えば波に飲み込まれてしまうから、心も体も波に委ねるのです。

そうしていくうちに、
「さっきの波も乗り越えられたから、次もきっと大丈夫。」と自分を信じていく。
その繰り返しをして、気づけば赤ちゃんがお生まれになるそのときが、すぐそこに。

この過程は、山を登るような、あるいは長い旅路を歩むような、
そのようなものにも似ています。

痛みはある意味「悪」のような存在です。
助産師は、その悪を悪でなくす努力をします。
助産師は、痛みそのものに、そして痛がっている方に、寄り添う者です。

山を登るとき、長い旅路を歩むとき、その過程を経るとき、必ずそばにいる存在です。
途中で見る景色、終えてから見る景色、どの景色を見る瞬間も、必ずそばにいます。

たとえ何回お産を経験しても、一度たりとも同じお産はないのです。
世界中どこを探しても同じバースストーリーはないから。
世界でたった一人の赤ちゃんがお生まれになる。

産む女性は、生まれる赤ちゃんと、あるいはそのパートナーと、
そして助産師と、深いパートナーシップを築き、
そしてもう二度と経験することのない共同作業を果たすのです。

きっと、そこに、愛がある。
長い時間をかけて降り積もる、愛の深さ。
陣痛って愛の波だ。

まさに、その愛を科学で解剖すると、そこに≪オキシトシン≫があります。
愛情ホルモンと呼ばれる、陣痛を癒すホルモン、それは≪オキシトシン≫。20210904_113057.jpg 711.84 KBなんとなく、耳にしたこともあるかもしれませんね。
脳の視床下部で合成されて下垂体という部位から分泌されるホルモンです。
お産のとき、このホルモンの働きにより陣痛が起こり、かつ徐々に強くなっていきます。
「えっ?!オキシトシンが癒してくれるんじゃないの?」という声が聞こえそうですね。

オキシトシンは前述したように陣痛を引き起こすのですが、
それと同時に絆ホルモンと呼ばれるように、
そこに共にいる人との繋がりを強めてくれたり、それによる安心感を得たり、
あるいは、抗ストレスホルモンと呼ばれるように、
痛みそのものを和らげる(陣痛はあるにも関わらず)はたらきをします。

他にも、産痛が増すと、脳からβエンドルフィンというホルモンが分泌されるのですが、
そのホルモンの働きによって、眠気と多幸感を引き起こしてくれます。

これらホルモンのはたらきにより、
ヒトは、お産に伴う≪痛み≫と≪時間≫を乗り越えることができるのです。

また、お産後には、このオキシトシンの働きにより母乳を出すことができるのです。
(母乳を生成することと出すこととは、また別なのですが…。)
そして、しあわせホルモンと呼ばれるように、非常に満ち足りた気持ちとなります。
さらに、母子を守ってくれたご家族や友人知人などへの感謝も感じるのです。

このようなホルモンのはたらきと、周囲との関係性の構築から、
ヒトは「お産」を通して≪痛み≫や≪苦しみ≫を感じても、
それでもなお、それを繰り返し、産み育ての歴史を紡いでいくのです。

もちろん、それが良いとか素敵とか、そういうわけではなく、
陣痛や出産そのものへの恐怖心を抱える方がいることも事実です。

もう二度と産みたくないと思ったり…
もし産むのであれば絶対に無痛分娩にすると思ったり…
産後のホルモン変化により精神的にも身体的にも滅入ることもあり、
すべての方がご自身のお産経験を肯定的に捉えることができるとは限りません。

帝王切開でのお産もある。
生きて生まれることは当然ではなく、死産や流産もある。
さまざまな背景から、人工妊娠中絶を選ぶこともある。
産む性だから女性が優れているというわけでもない。
自身の性に疑問を抱き、子宮を摘出することもある。
自身の闘病のために、子宮を摘出し産まない選択をすることもある。

「産む」 「産まない」 「産めない」
生と死が混在するところで、精一杯あなたらしく生きている、その姿が美しい。

「お産」を語るうえで、もしかしたら気を悪くされた方もいるかもしれませんし、
わたしの表現の配慮が行き届かない部分もあったかもしれません。
語弊のないよう、重ねてお伝えしたいのですが、
今日ここに書き残したことは医学的であり科学的でもありながら、
「お産」の神秘でもあります。

いま、ここに、あなたが生きているその軌跡の証明です。


だから、この「お産」を乗り越えて、
「 【産む】と【生まれる】が辿る軌跡 」を経て生きて生まれてきてくれて、
そして、いま、あなたが生きていてくれて、
ただそれだけで、 『 ありがとう 』 。


あなただけの軌跡(バースストーリー)。
それを知っていても、知らなくても、あるいは知りたくなくても、
あなたが今日知った「お産」の神秘は、あなたの軌跡を物語っているのです。

「産む」 「産まない」 「産めない」
あなたが、いま、どこで、だれと、どこにいて、なにをしていても、
あなたも「生まれた」ということが、あなたが「生きている」ということが、
奇跡の連続であり、あなた自身が辿る軌跡の一部なのです。

今日語ったことは、
あなたがどんな性であっても、
パートナーがいても、そうでなくても、
妊娠をしていても、そうでなくても、
出産をしたことがあっても、そうでなくても、
育児をしたことがあっても、そうでなくても、
いつか妊娠や出産や育児をしたいと思っていても、そうでなくても。
すべての人に知っていてほしい、すべての人の「いのち」のこと。





ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

この超大作のブログを書き上げるにあたり、
所属しているオンラインサロンLifestyle Design. Camp のみなさんに
たくさんのご意見やご感想をいただきました。
何度も修正を繰り返し、「本当にわたしが伝えたいこと」を見つめ直し、
文字という形にし文章として綴っていくことができ、わたし自身うれしく思っています。
改めて、camper のみなさん、本当にありがとうございました。

実は、このブログの前身では、ヒトが難産である理由を説いていました。
「難産」というワードについて、
とある camperさんから、一つの解釈をご助言いただきました。
なるほど、とわたしのなかで腑に落ちる感覚があったので、ご紹介させてください。

「有り難いお産」

日本語って、本当によくできていますね。
お産に「有って当たり前」なんてないのです。
命を懸けて、いのちを生み出す。
すべてのお産が「有り難い」なと、ふだん抱いている思いが表現され、
心がほぐれるような感覚になると同時に、新たな解釈に学びをいただきました。

また、前身のブログから書き換えをするにあたり、数か月という時間を要し、
そばで応援してくれる大切な人や友人のおかげで書き上げることができました。
細かく添削してくれたり、
対話を重ねることで本当に伝えたいことを確認してくれたり、
ときには言いづらいようなことも意見してくれたり。
読んでくれているか分からないけれど、いつも本当にありがとう。



最後まで読んでくださった方々へ、
心身健やかに、心地よく生き、愛溢れる日々を紡いでいけますように。
祈りを込めて。


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