ブラシ職人・中山正三さん
普段は着ないスーツに身を包み、カメラに向けて視線を送る。
「なにか、とんでもないことになっている」
東大阪市長から賞状と盾を受け取り、記念撮影に応じる中山正三(なかやま・しょうぞう)さん(57)はそう感じていた。
東大阪の町工場でつくられる、100%自然素材の歯ブラシ「turalist(チュラリスト)」。家具製造の際に出る端材のブナの木と食肉用に育てられた豚と馬の毛を再利用し、職人が一本一本植毛する。中山さんはこの歯ブラシを製造するブランドの代表であり、自らも製造にたずさわる。
この日、turalistが東大阪ブランドに認定され、中山さんはその授賞式に出席した。東大阪ブランドとは、モノづくりの町である東大阪市を拠点とする企業がこだわりや創意工夫をもって製造する製品に贈られる称号だ。
「これまで色々なブラシ製品を製造してきました。でも、こんなに人から注目される表舞台に立ったことはありませんでした」
中山正三さん
中山さんは、生まれも育ちも東大阪だ。父親がブラシ製品を製造する工場を営んでいた。中山さんはその後を継ぎ、工場の社長となった。工場で製造していたのは、眉ブラシ、化粧ブラシ、歯ブラシなど多岐にわたる。持ち手部分になるプラスチックを加工し、ブラシの植毛も行う。特に女性用ブラシ製品が主力品だった。
当時、化粧品は景気の波による影響が少ないと言われていた。高度経済成長期を迎えると、人口の増加やディスコブームが後押しとなり、需要が拡大した。これを好機とみたメーカーは、下請けの町工場への発注数を増やした。それまでは一度に2千本で納品を受けていた商品も、1万本まとめてでないと受け取らないなどという無理な要求もあった。
さらに、他業種からブラシ製造への参入も増えた。例えば、男性用カミソリをつくっていた会社が女性用ブラシの製造を開始した。大企業と町工場では資本も生産力も段違いだ。あっという間に単価は下がり、メーカー同士の消耗戦がはじまった。それでも、つくればつくった分だけ売れる。そんな期待を胸に中山さんは休みを返上し、眠る時間を削って製品をつくり続けた。
バブルが崩壊すると、ブラシの売れ行きは下がった。新規参入した企業は相次いで撤退し、残ったのは低価格で納品する慣習だけだった。
「あのときは、ほんまに余計なことしてくれたなって、同業者みんなで話していました」
プラスチック製ブラシの製造は手作業から大量生産できる工場でのオートメーションへと移り変わっていく。それに加え、植毛職人が高齢になり、一人またひとりとリタイアしていく。最後には、中山さんと職人ひとりだけになってしまった。
コロナ禍になると、注文数が激減する。さらに、唯一の職人が体調を崩したことで、中山さんは会社をたたむ決意をした。
父親から引き継いだ会社を潰してしまった。工場には、働いていた職人たちの歴史と面影が残っている。工場で一人たたずむ中山さんは、寂寥感にかられていた。
「これからどうしていこうか」
50代半ばにさしかかった中年男性に、新しい就職先は簡単に見つからない。しかし中山さんにはまだ仕事が残っていた。廃業することを取引先に伝えるため、挨拶まわりにいかなければならなかったのだ。
新しい活躍の場、中山さんのアイデア
「今度、100%自然素材でできた歯ブラシをつくろうと思ってるんやけど、中山さんのところでこの竹の持ち手に獣毛を植えてもらうことはできるやろうか」
そう提案を持ちかけたのは、中山さんの会社にプラスチック部品を納品していた村中克(むらなか・かつ)さん(54)だった。
中山さんの工場では以前、木製の持ち手に獣毛を植えた眉ブラシをつくっていたことがあった。
「それなら、うちの職人にできるんちゃうか」
中山さんは辞めた職人の自宅に行き、再び植毛してくれるよう頼んだ。毛を植える間隔、打ち込む深さなど試行錯誤を繰り返し、試作品の歯ブラシが完成した。
中山さんは、自然素材のブラシの方が、プラスチック製のものより良いと感じたという。プラスチック製の歯ブラシがこれだけ普及した中で、自然素材の歯ブラシを販売していくことに、不安よりも可能性を感じていた。
「天然毛の良さを知ってもらえるチャンスやって思ったんです。エコの観点からもこういう製品が必要だと思ってくれはる人はいて、そこに届けば可能性は十分あるだろうって思いました」
開発者の村中さんは、歯ブラシのヘッド部分が厚くなってしまうことに悩んでいた。参考のために取り寄せた海外製の竹製歯ブラシは、どれもヘッド部分が大きかった。大きなブラシは日本人の口に合わない。しかし木材はプラスチックと違い、ヘッド部分を薄くすると、植毛するときに割れてしまうのが問題だった。
それを見ていた中山さんには、プラスチックの歯ブラシをつくっていたときからの疑問があった。
「プラスチックの柄を薄くするくらいなら、どうしてブラシの先端を斜めにカットしないのだろうか」
歯を磨くときに気になることの一つは、ブラシが奥歯までしっかり届き、きちんと磨けるかどうかだ。中山さんはブラシの先端の毛を短く、持ち手の方の毛を長くなるように傾斜をつければ、奥歯まで届くと考えていた。大手のメーカーがヘッド部分を薄くすることにしのぎを削る中、植毛を専門としていた中山さんはずっとそう感じていた。
そのことを村中さんに伝えると、「それや!」と言って中山さんの案が採用され、歯ブラシが完成した。
(上)植毛したばかりの歯ブラシ (下)先端にいくほど短くカットされ、 奥歯まで届く。
長年やってきた職人だからこそ見えるもの
「以前に植毛工場をしていたときは、メーカーからの依頼に対して早く正確にブラシを製造し、納品することが大切でした。自分で考えるというより、こなしていたと言ってもいいかもしれません。今は歯ブラシのことでアイデアを求められたり、使ってくれたお客さんからの反応が直接聞けたりして、やりがいを感じるようになりました。『この歯ブラシから離れられない』って言ってもらえるのを聞くと、もっとがんばってつくらないとあかんなって思います」
中山さん自ら、毛先を斜めにカットする。
中山さんはイベントに出展した際に対面で歯ブラシを販売することもある。お客さんからは、ときに厳しい意見を言われることもある。ヴィーガンの人はそもそも獣毛が駄目だったり、どうせ長くはもたないだろうと言われたりもする。
「まだまだ馴染みの薄い自然素材の歯ブラシですから、好きや言ってくれはる人が半分もいてくれればありがたいって思うんです。お客さんと話すときは、良いことだけでなく、プラスチックと比べて劣る部分もきちんと説明するようにしています。例えば、使いはじめは弱い毛が抜けやすいとかですね。人間の毛髪と同じで、獣毛も一本一本個性があるんです」
中山さんの説明からは、職人として長年やってきたことを、誇大することなく誠実に伝える姿勢を感じる。
「自分たちの試行錯誤をお客さんにきちんと説明することで、好意的な方とそうでない方の割合が、半分半分から6対4とかになってくれればもっと嬉しい。それを目標に仕事をしています」
中山さんには歯ブラシ以外にもつくってみたい製品があるという。
「もともと化粧ブラシを多くつくっていましたから、天然の毛と木でできた洗顔ブラシをつくってみたいと思っているんです。いま、化粧ブラシはナイロン製のものが多い。豚の毛はナイロンよりも硬いけど、水を含ませて使っていってあげると、だんだん柔らかくなって肌に馴染むんです。木材の温かみを感じてもらえるような製品をつくりたいですね」
東大阪ブランド授賞式にて市長から表彰される中山さん
中山さんは高度経済成長期からバブル期の浮き沈みの中で、目先の利潤だけを追求した企業が早々に撤退していった歴史を経験した。
流行に左右されることなく、小規模でも長く続けている町工場と職人だからこそ、できることがある。
それは、職人として長年培ってきた経験と技術、こだわりこそが、逆境に耐えうる資本となることだ。
淡々とした作業の中にあった疑問をアイデアとして昇華させたことで「turalist」は完成した。
神は細部に宿る。中山さんの仕事はその言葉を体現したものであるように感じられた。
100%自然素材の歯ブラシ「turalist」公式HP
2023/09/29 13:04