前回、前々回と数か月に渡って綴ってきたCamino巡礼Blog、前回第2弾では巡礼を共にした仲間との出会いについて綴ったが、今回は第3弾として旅での出会い、そして別れ、巡礼中に仲間と歩いた一方、ひとりで歩いた区間についても綴っていこうと思います。それではCaminoBlog第3弾最後までお付き合いいただけると嬉しいです!
出会って数日 道中での仲間の帰国
前回のBlogでも綴った"Puente la Reina"という街でのイタリア人の仲間との出会い、そこから意気投合し翌朝から日々の歩行をスタートした。毎日20~30Km歩く中、街に到着したら夕方からカフェでビールやコーヒーを飲み、夜には宿や付近のレストランで食事やワインを愉しむ、そんなサイクルを数日間送っていた中、初めて出会った宿で明日からお前も一緒に歩かないかと声を掛けてくれたイタリア人の”Allesio”(アレッシオ・26歳)が突然、仕事の都合でイタリアのトリノに帰らなくてはならないことがわかった。
出会って数日、毎日一緒に歩き、寝食を共にし、互いの母国での生活や家族の話などをして仲が深まっていた矢先の突然の知らせに私は驚いた。イタリア語同士での会話では彼が帰国することに関する話題は出ていたのかもしれないが、その状況については私は状況を認識できておらず、彼が帰国をする前日の朝に状況を知った。
旅とは出会いと別れが突然訪れ、「一期一会」それが旅の醍醐味だとはわかってはいるのだが、共に”Santiago”という同じ目標に向かって自分たちの想いと足だけで歩いて目指し、日本から遠く離れた北スペインの小さな街で”Camino”が無ければ出会うことの無かった仲間との別れ、
彼は”Najera”という街でCaminoの巡礼路を離れ、トリノの街に帰ることになった。共に歩いていた仲間は帰国するAllesioの想いも一緒に”Santiago”まで歩き続けることを皆が話していた。私も彼との別れの際にはそのことを彼に伝えた。
彼は私に対し「お前が俺にとっての初めての日本人の友達だよ」と言ってくれ、
互いの国を訪れる際にまた会う約束をした。そして彼がCamino巡礼のスタート地点”St.Jean Pied de Port”から、別れの地となった”Najera”まで歩く際に使っていたステッキを自分に授けてくれ、私は彼のステッキを使うことでSantiago そしてその先まで彼と共に歩いていくことにした。
左がAllesio, 右がElia どちらもItaliano 🇮🇹
アレッシオから授かったステッキ🦯
「それぞれの道」
Najeraで”Allesio”との別れの後、私たちはその後も毎日歩き続け、いくつかの街を超えCamino巡礼の中でも最大の大都市のひとつ”Burgos”を目指していた。
Burgosまでにも教会がAlberugue (巡礼者専用宿泊施設)として活用されている宿で楽器を演奏して、宿で一緒になったいろんな国の巡礼者と一緒に「メサ」に出たり自炊生活をしたりと道中で出会う仲間たちとの生活を続けていた。
大都市Burgosに辿り着くとその先のもう一つの大都市”Leon”(レオン)までは都市部の無い草原地帯の歩行が1週間ほど続く行程が待っていた。Burgosに着く数日前から、私たちはMesetaをどのように歩くかについての議論が増えていた。
結果的にBurgosからはそれぞれの判断として、「仲間と一緒に歩く」のではなく
「自分自身、それぞれ自分の道を歩く。」という決断をした。
Puente la Reinaで出会った仲間たちも、元々はそれぞれ一人でCaminoの巡礼に訪れ、皆スタートは一人で旅を始めていた。気づけば心を許し合える仲間が出来、寝食を共にしひとりで過ごす時間ではなく仲間と過ごす時間が増えていた。皆がもともと一人で来ていたからこそ、常に誰かと一緒に居る時間を過ごす事にそれぞれが多少の違和感を感じていいたこともあったのかもしれないがBurgosから先の”Meseta”(大草原地帯)は各々がそれぞれのペースで日々歩くことにした。
出会ってから1週間超、毎日歩く時間・寝食を共にしていた仲間たちなので皆それぞれ一時的に離れていくことに寂しさを感じてはいたが、”Santiago”までというCaminoの同じ道の上を歩いているので「またすぐ会える」ということはわかっていた。
寂しさをそれぞれが感じつつも同じ道の上でまた出会える。この巡礼ならではの体験・感覚を噛みしめながら、私は”Meseta”の大草原での歩行をスタートした。
Burgosにて
朝のcafeにて
何もない大草原の1本道をただひたすら歩く1週間 ”Meseta”(メセタ)
”Meseta”
《台地の意》スペイン中央部を占める乾燥した広大な台地。”デジタル大辞泉”より
意外にもスペインはヨーロッパの中でスイスに次ぎ、平均標高が2番目に高い国ということをCaminoを歩き始めてから知った。
Mesetaには本当に何もない。視界に広がるのは乾燥しただだっ広い台地、360度の遠方には山々、目の前にはただただまっすぐな一本道。本当に歩いていて笑っちゃうくらいのひたすらな一本道。もちろんビルもアパートもレストランもない。
あるとしたら5~10kmごとに小さな街があり、巡礼者が一休みをするカフェがいくつか。
”Meseta”では大体1日25km~30kmを7日間ほどかけて歩く。私はこの区間の大半を一人で歩いた。人によっては”Meseta”はあまり好きじゃないという人もいたが、私は好きだった。ただひたすらに続く何もない一本道を淡々と一歩一歩歩いていく。高い建物もなく視界が永遠に開けているのでとにかく開放的。
9kgぐらいのバックパックを背負って歩いているのに足取りがとても軽い、俗な言葉だが本当に「どこまでも歩いていける」ような気がした。
ひとりで歩いていると色んなことが頭に思い浮かんでいたのだが、何を考えながら歩いていたかはほとんど何も覚えていない。いや、何も考えていなかったのかもしれない。
ただただひたすらに続く一本道を歩くことだけに集中していて、何かを深く考えることもあまりなかった。歩いていて自分は歩くことが好きなんだということに何度も気づかされた。しかも道中で出会う人はそれぞれの目的、(ある人もない人も)同じ目的地に向かって歩いている。道中やカフェで気づけば初めましての人と会話が始まっている。
そのまま一緒に歩くこともあれば、それぞれのペースがあるので一緒になったり離れたりする。
英語で話すことも好きなことにも気づけた。日本人はめったにいないので
(全行程の900kmで出会った日本人は10人いない)出会う人とは英語で話すしかない、英語で話す中で日本語に比べて持ってるボキャブラリーが少ないこともあるが日本語で話している時よりも自分の感情や思っていることが素直に出てくることに何となく気づいた。
取り繕う言葉もないし、ストレートな表現しわからないので言葉を濁すこともない。
英語で話している中で「自分ってこういう風に思っているのか」ということにふとした会話の中で気づくことが多かった。
Mesetaを歩く中で毎日していたことは起きて、歩いて、話して、食べて、寝る。
一日の中でいくつか通る小さな街からその日の宿を決め、宿まで毎日歩くの繰り返し、
それが平坦でひたすらにまっすぐな一本道の上を歩き続ける。自分にとっては極上のシンプルライフ。
そして途中で通る一つ一つの小さな町の建築物、石でできた建物がかわいい。
赤褐色系の石でできた建物、家が多かったがスペインは地震が無いので歴史ある石の建物が風情ある形で小さな町の生活の中に今も綺麗に残されていた。
Mesetaのひたすらに続く1本道
Rediegos という街からの夕焼け
Meseta を抜けてついに聖地Santiagoへ
1週間に及ぶ大草原地帯Mesetaを抜けるとフランス人の道の最大の都市の一つLeon (レオン)に辿り着く、Leon に着いた日は巡礼の行程中で初めて体調を崩していた。毎日25kmほどを歩き続けていたのでどこかで体調に変化がある時はくるかなとも思っていたが、ついに。という感じででもあった。
大都市であるため仲間も夜には繁華街へと出かけ遅くまで飲み歩いていたのだが、体調を崩した私は仲間が5人共同で泊まれるアパートメントを取っていたのでそこで寝込んでいた(笑)
寝込めば翌朝には回復していたのでよかったが、
次の日もLeonで1日を過ごし、行程中で初めて行程を進めない日「ゼロデイ」とした。
夜にはアパートメントでイタリア人3人・フランス人1人と一緒に寿司を作り休息日の夜を楽しんだ。
Leonから先、聖地巡礼の終着地点Santiago(私は先のスペイン最西端の岬「Finisterre」まで歩いたのですが)までは10日間を着る日数で歩くことが出来る。フランスから歩き始めて、毎日コツコツと20~30km歩き続け、段々とゴールまでの距離が短くなってきていることに少し寂しさも覚えつつ、ゴールに近づいていること。学生時代から夢見ていたSantiago de Compostela巡礼の路の上にいることにワクワクが止まりません。
Santiago まで残り100km
Santiagoの位置するスペイン北西部ガリシア州は標高が高く、朝は霧がかかっていることも多く、山間部を歩き残りの日数を噛みしめていた。
Leonで友人たちとアパートメントに泊まり、出発した後は一人で歩いていた時間も多く、Santiago 到着の数日前にイタリア人仲間のコミュニティで仲良くなっていた67歳のイタリア人のおっちゃん「Pino」と合流し、Santiago到着までの行程の終盤は英語の話せない67歳のおっちゃんとイタリア語の話せない24歳の日本人の2人で5日間ほど歩ききるという、貴重な体験をすることが出来た。お互い母国語ではもちろん会話が出来ず英語も通じない関係性ではあったが、Pinoとはなぜか不思議とコミュニケーションが取れた。それは互いに目と目を通じてコミュニケーションを取っていたこと。Santiagoを目指すという共通の目的があったこと。細かい言葉のニュアンスはわからなくても同じ道歩いてきたという信頼感が互いの間にあったことも関係していたのかもしれない。
後はイタリア人と過ごしていた時間が長かったので、なんとなく何のことを話しているのかがイメージ・推測できるようになっていたこと。イタリア語での1~100の数え方を覚えていたことが、日々数十キロ、Santiagoまでの距離をコミュニケーションする際に数字と街の名前だけでも互いの伝えたいことを伝えることが出来るようになっていたことも大きかったかもしれない(笑)
🇮🇹 Mantova 出身元トラックドライバーPino
(67years old)
そして、Sanitagoに辿り着く瞬間がやってきた。5~6年前学生時代にSanitago巡礼のことを知ってからずっと夢見てきた瞬間。到着の瞬間は実感がなく、到着した感動や嬉しさよりも「本当に来たんだ」・「着いてしまった」という感情の方が大きかったような気もする。Santiagoから先、スペインの最西端の岬の街「Finisterre」まで歩くことは決めていたため、Santiagoでは巡礼の終盤に出会った各国の仲間たちと祝杯を挙げ喜びを共有し、到着の翌日には後続でやってくる巡礼期間中の大半の時間を共に過ごしたイタリアの仲間たちの到着を待った。
最初にSantiagoに到着したときに、心のどこかに何か物寂しさを感じたのは彼らがその瞬間その場にいなかったからなのかもしれないと後からではあるが感じていた。
Santiago de Compostela 到着の瞬間
Santiago到着翌日、彼らの到着を道中で一緒に過ごしていたフランス人の友人Charlesとともに待ち、
聖地「Santiago de Compostela」にてSantiago 巡礼の達成を物理的にも感情的にも感じる瞬間を味わった。
左がElia 🇮🇹 真ん中がCharles 🇫🇷
スペイン最西端の街 旅の真の終着地点「Finisterre」
Santiagoで2日間を過ごし、2日目の夜にSantiagoで巡礼の旅を終える仲間とは別れの瞬間を向かえた。Finisterreまで歩く友人とは数日後に最西端の街でまた会おうと再開の約束をし、次の日本当に最後の残り約90kmの行程を歩き始めた。1日約30kmずつ歩き到着する距離であったので全体を通して900kmの巡礼の行程もあと3日間で歩き終わってしまうという名残惜しさも感じながら、残りの距離を大事に噛みしめながら歩こうという想いで歩みを進めた。
Sanitagoを超えると巡礼者の数はグンと減った。Santiagoを最終目的地としている人がほとんどでそこから先はバスで向かうという人や母国に帰ったり、他のヨーロッパ諸国を旅するという人もいた。選択肢は自由で自分にもバスで最西端まで向かったり、他の国を観光することも出来たが今回は歩く旅をしに来たという本来の旅の目的に立ち返り、自分の足で歩ききって、スペイン最西端(ということはユーラシア大陸のほぼ最西端でもある)に辿り着きたいという想いが高まっていた。また、日本で過ごしている際は神奈川や千葉・静岡の熱海伊豆を旅行する際に太平洋を良く眺めることがあるが、人生で大西洋を見たことが無かったので、その瞬間をフランスの南部から900km歩いた先に迎えることが出来るということに自分の中で何か意味を見出していた。
Finisterreまでの道中では、Santiago巡礼の道中では出会わなかった人々と出会うことも出来た。Sanitago までの巡礼路は私が歩いていたフランスから歩く「フランス人の道」
スペイン・バスク地方の北側ビルバオやサン・セバスチャンという街を通りSantiagoを目指す「北の道」またイベリア半島の西側ポルトガルから北上しSanitagoを目指す「ポルトガル人の道」といくつかルートがある。Finisterreまでの道ではポルトガルの道を歩いてきた巡礼者にも多く出会い、それぞれの道のこと、ここまでで出会った仲間のことなどを話すことも出来た。ポルトガルの道はイベリア半島の西側の沿岸を歩くのでずっと大西洋を見ながら歩くことが多いとのことで、Finiserreに着くまでに海を見ている点が私が歩いてきたフランス人の道との大きな違いだ。
そして、Finisterreに到着した日。フランス南部の小さな街「St.Jean Pied de Port」から約900kmからピレネー山脈やスペイン山間部や肥沃な草原地帯Mesetaを歩ききり、約40日間の行程の最後に初めて海を見た瞬間。感動というか言葉にならない感情になるとともに本当にここまで歩いてきたことを実感した。Santiagoに最初に到着した時とは全く違う感情であり、本当に旅の終着地点に辿り着いたんだという感覚になった。
約40日900kmの行程の中初めて海を見た瞬間
Finisterreはスペイン最西端・ユーラシア大陸最西端に位置する岬で「End of the Earth」とも呼ばれている。この街で2日間を過ごし、Santiagoまでの巡礼路の道中で出会った多くの仲間たちとの再会や最後の時間を共に過ごし、約40日間の巡礼の旅を終えた。
学生時代に歩いてみたいと感じた「Camino de Sanitiago」コロナ禍や就職なども経たなか、「行きたい」「歩きたい」「様々な背景を持った人と出会いたい」と思い続けた結果
24歳の秋にして実現することが出来た。
こんなにも早く実現できるとは思っていなかったが、思い続け、人と話したり、自分の中で育み続けていれば本当に実現することが出来るのだと感じた原体験の旅。
やりたいこと・実現したいことは人に話したり、対外的に出していくとともに育み続けることで実現する瞬間がやってくるということを学んだ実体験と共にこれからも生きていきたい。
そう思えるCamino de Sanitagoの巡礼の旅であった。
ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございました。
いつかそれぞれの人生での旅や原体験として心に残っている瞬間や感情を一緒にお話しできることを楽しみにしています。
Caminoについて相談に乗ってくださったりアドバイスをしてくださった@Lisa / 福元ひろこ さんにもこの場を借りて感謝を伝えたいと思っています。
22年の9月超ミニマル主義のプロモート期間で来日していた@ダイスケ(元学長)/四角大輔 さんに後押しの言葉を頂いたことも感謝しています。
昨年10月にCamino巡礼後に1年越しにもう一度お会いでき巡礼の報告が出来たことも嬉しく思っています。
拙い文章の中最後までお読みいただきありがとうございます。
これからも 歩み続けていれば 何か目標や叶えたいことに辿り着くと信じて
ユーラシア大陸最西端の岬 Finisterre にて