皆さま、大変お久しぶりです^^
「旅を通して人と学びを繋ぐ」旅行会社、とことこあーすの戸田愛です!
4月29日(土)10:00から@学長/四角大輔 さんと対談をさせて頂くことになりました!

■イベント詳細はこちらから↓
https://lifestyledesign.camp/events/7e89383e6860

これを期に今までのブログと重なる部分もあるかもしれませんが、
初めましての方もいらっしゃるので私のこれまでのライフストーリーを振り返り共有させて頂きたいと思います。
少し長いですが良かったらお付き合いください^^

【幼少期】
私は長崎の平戸出身の父と、18歳までブラジルで生まれ育った日系二世の母の長女として大阪で生まれました。
母は血は日本人だが文化的にハーフな自身のアイデンティティにすごく悩んで生きてきたようで、私が生まれた時に「この子は日本人として育てよう」と思ったと言います。
そして母国語のポルトガル語を封印し、慣れない日本語で育ててくれました。
(そのため私はポルトガル語は「ありがとう」しか話せません。。涙)

ただ言語は日本語で頑張って育ててくれても日本文化は分からず、お節料理にからあげが入っていたり、学校でお弁当を開けると一面おでんだったり。。苦笑
私は一生懸命な母に感謝をしつつも、「普通じゃない、普通になりたい」と思って学生時代をすごしていました。

一方とても感謝をしているのは「子どもに残してあげられるのは教育だから」と、
公務員の父が無理をして子ども3人を幼稚園から大学まで私学に通わせてくれ
母は新聞配達やヤクルトレディをしながら支えていました。

「お金がないからできない」ではなく「どうしたら子どものやりたいことを叶えてあげられるか?」と、いつも私たちの道を拓いて肯定し続けてくれる両親でした。
S__131612753.jpg 293.77 KB(3世代で訪れた父の定年祝い旅行イタリア・フィレンツェ)

【大学~結婚まで】
小学校から高校までの12年間超厳しい女子校だった反動で、大学に入ると自由を謳歌していました。
最初の3年間はアルバイトをしては旅をし、単位が全然取れていなかったのですが4回生で奇跡の60単位を取って無事卒業できました(笑)

新卒で旅行添乗員になり、
当時22歳と若い私が添乗員として、自分より2、3倍も生きている方々40人を連れて
日本全国、エジプト、イタリアへと毎日旅をしていました。
添乗に出ると全員が日本に帰るまでの責任を背負い、
何事においても判断するのは自分一人。(しかもスマホのない時代。。)

若さに甘えられず、経験不足を埋めるためにプレッシャーの中で勉強して
お客様に安心してもらえるように必死で背伸びをしていた頃ですが、
初めましてで会った関空から一緒に旅をして食卓を囲み、感動や苦労を共にすると
帰る時には涙の別れで再開を願う。
たった1週間で人の心がこれだけ近くなる旅の力を現場で学ばせて頂いていました。
IMG_5346.jpg 558.5 KB(添乗員として同行したエジプト・アブシンベル宮殿    社旗にプーさんを付けてお客さんを引率していました)

一方で団体ツアーにはローカルの方との出会いがほぼなく、
また場所に行くことが目的になっている中で自由時間もなく。
お客さんの希望を聞いても団体行動を優先せざるを得なくて、叶えてあげられずに悔しい思いをしたことが何度もありました。

そこで「想いを叶える旅をつくりたい」とハネムーン専門のオーダーメイド旅行会社に転職。結婚式場の中の旅行会社で働いていました。
結婚した夫婦の初めての旅、ハネムーンがどんな時間を過ごすとお互いにとって幸せなのか。
一組一組に合う一生に一度のハネムーンをプロデュースする仕事は大好きで、そこから10年程オーダーメイド旅行を作っています。

【結婚・出産】
大好きなハネムーンを作る仕事でしたが、旅行業は忙しく、休みもなく。
トラブルがあると時差含めて24時間対応が必要な時もあり、、
26歳で妊娠が分かった時に「好きな仕事だから私は妊娠中でも無理をしてしまう」と思い一度退職しました。

でも「絶対に旅行業に戻りたい!」と妊娠中・産後に猛勉強をし、
長女が10カ月の時に旅行の国家資格を取得。
その時長男を妊娠していたので、出産後すぐに復帰しよう!と思っていました。

その後、28歳で長男を出産。
生まれた3日後、突然「この子はダウン症です」と言われました。。
image (11).png 890.58 KB(長男が生まれて初めての家族写真)

私は「人生絶対本気で努力をすればなんとかなる!なんとかする!」と思って、
学生時代、添乗員時代を走る抜けるように生きてきたので、
人生本当になんともならないことがあるんだ。。」と、この時は驚きと絶望で真っ暗でした。

「誰かに迷惑をかけているんじゃないか」「変だと見られているんじゃないか」と、常に自分を否定して人の目を気にして生きていました。

幼いころから「普通になりたい」と思って生きてきた私が、「もう普通の人生も幸せもない」という現実を受け入れられず、実は6年間も長男のことを人に言えずに生きていました。

【とことこあーす誕生】
自分を否定しながら孤独に子育てをしていた頃。
大学時代の友人が少し仕事を手伝って欲しいとのことで海外の方とやり取りをした時に、
止まっていた時間が少し動きだし「私の人生が返ってきた」と血が通っていく感覚を覚えました。

「今の私」だからできること。と考えた中で、
<海外に移り住んだ日本人と、その土地を旅行する旅行客をコーディネート>して、
お友達のように一緒に旅先の街を歩くビジネスモデルを思いつきました。

観光ガイドではなく、街歩きガイド。
*ガイドブックを見ながら観光地を巡るだけではなく、その街が好きで住み着いた方の目線で案内してくれる旅
*初めての街でも待っていてくれる人がいる安心感
*日本人の生き方の共有(特に日本人女性の人生が旅先の街でクロスするといいなと思ってサービスを届けていました^^)

私がずっとお手伝いしてきたような旅に慣れていない方も安心でき、
国を聞くとガイドさんの顔が出てくるような浮かぶような
人で繋がる旅」を届けられるのでは思い
2015年、29歳の最終日に自宅の一室でパソコン一つで小さく小さく始めたのがとことこあーすです。

何でものんびりな長男が3歳でやっと歩き始めた時。
いつもベビーカーで来ていた公園を「とことこ」と嬉しそうに歩いているのを見ながら、
同じ場所でも自分の足で歩くと世界が変わるんだなと感じました。

地球上を「スタスタ」と歩ける方もいらっしゃるかもしれない。
でも「とことこ」でもいいから、ご自身の足で楽しむ方のお手伝いができれば
という想いを込めて、「とことこあーす」という名前を付けました。
S__101015608 (1).jpg 257.76 KB(2017年に誕生した次女と一緒に自宅にて)

当時は海外在住の日本人ガイドさんを探すために子ども達を寝かしつけした後、
テレビ電話(当時はSkype)で毎晩面接・研修をしていました。
海外に移り住んだ日本人の方200~300人程に出会い、人生ストーリや、これからの夢を聞いて語り合い。
この時に、私の体は子ども達を寝かしつけをした後の自宅でしたが、心はすごく旅をしているなぁと感じました。

そして「人が動くだけではなく、新しい人や価値観との出逢いも旅だなぁ」とオンラインの可能性を感じていたのは8年前です。
この時私が母親になって動けなくなったから実感した経験が、コロナになって世界中の人が動けなくなった時にはオンラインの可能性を活かすことに活用できたのだと思います。
カンボジア×子ども達.jpg 396.58 KB(コロナ禍にカンボジアの村とパナソニックセンター大阪をオンラインで繋ぎ、絵本の読み聞かせ&絵しりとりをしたイベント。絵本作家の谷口智則さんと一緒に)

【家族で世界一周へ】
小さく始めたとことこあーすも有難いことに少しずつ広がって、大好きな旅行の仕事をまたできるようになり。主人も仕事が安定し、家も建てて子どもも3人いて、年に1回は海外に行けるようになって「人生最高~!60歳まで今のままだろうな」なんて思っていた2018年夏。

あるイベントに参加した中でみんながこれからの夢を語っている時に、今の自分に満足して未来を描いていないことに気づきました。自分には何も夢を語れるものがない。。

苦しかった中で何とか乗り越えて「今が最高!」と思っていた中で、
本当にずっと今のままで良いのかな?と小さな違和感を感じたのがこの時です。
でもどうしたら良いのか・・と思っていた時に参加したのが旅祭&PEACEDAY2018
IMG_9972_Original (1).jpg 5.19 MBイベントに家族で参加した帰り道。
当時小2だった長女が「私も家族で世界一周したいな~」とつぶやく
それを聞いた時に「ずっと今のままで良いのか?」と感じていた違和感とピタリとハマり、
「いいね、今しかない!」とその場で夫婦で覚悟が決まり、10カ月後に実際に出発しました。
09DDCDD4-4342-4EA9-89CE-BCEF566A1CEA.jpg 98.18 KB(2019年7月関西空港にて    出発時の子ども達は小3、小1、1歳)

ずっと仕事人間だった主人は、3人目にして初めて育休を取得して世界で主夫デビュー
私は自宅でできるなら旅をしながらでも仕事ができる!と世界中でテレワーク!
小学生組は学校を休学して自主学習しながら世界中の公園で遊び、
1歳だった次女はオムツをして世界中でイヤイヤ期を発揮しながら旅していました(笑)
S__131612778.jpg 498.82 KB(世界一大きなお砂場サハラ砂漠/ウユニ塩湖の塩でおままごと/パパは毎日公園に行ってスーパーで買い物をして自炊する主夫へ/私はNZのテカポ湖で遊ぶ子ども達を見守りながら仕事)

■世界一周中にニュージーランドミートアップで大輔さん、@じゅんじゅん/志知純子 さん、Camprの皆さんに初めて出会った時の投稿
https://www.instagram.com/p/B7wsbvSJ8Ix/

旅に出ていた8カ月間、ほぼ24時間ずっと家族で一緒に過ごす恐らく人生で最初で最後の経験をしました。
主人はそれまでの父親としての9年間を全て足しても全く足りない濃い8カ月を家族と向き合ったことで、「これからの時間と自分の力は会社や上司のためではなく、家族のために使おう」と、帰国後会社を辞めました。

そして本当に世界中の方が、一緒に子育てをしてくれました。
旅先での出会いも、国内でその間支えてくれたとことこのスタッフ、私たちの旅をSNSなどで応援してくださった方々も含めて、
たくさんの方に助けて頂いたおかげで達成できた、本当に感謝でいっぱいの旅でした!

そして長男を生んで「社会に迷惑をかけているのでは」と自己否定しながら生きてきた私でしたが、
大好きな旅行の仕事を通して喜んでくれる方がいて、その対価で頂いたお金で家族で旅をすることができた時に社会にも家族にも私にできる役割があると胸がいっぱいになりました。

旅は私に仕事と家族の共生を教えてくれ、「普通ではなく、自分の人生を生きたい」と強く思いました。
UNADJUSTEDNONRAW_thumb_9d8 (1).jpg 124.83 KB(ボリビアウユニ塩湖にて。この非日常的な場所で、いつも通りわちゃわちゃと家族で食卓を囲みながら「人生まだまだやりたいことも、行きたい場所もたくさんあるけれど。結局は私は家族で食卓を囲む、この時間を過ごすために人生を生きているんだ」と思いました)

【帰国とコロナ
2020年3月8日、予定通り家族5人で帰国しました。
最後はセブ島に家族で英語留学していて、学校のみんなに見送られながら無事帰国した翌日から世界中はロックダウン。セブ島に残っていた方々の飛行機は飛ばなくなり、翌日から8カ月ぶりに登校予定だった子ども達の小学校も休校になり。
社会復帰する予定がステイホームで、また家族5人で24時間一緒の生活が始まりました(笑)

「世界一周からのステイホームって正反対だね~」なんて言われたりもしましたが、
時間はたっぷりあって最低限の必要なモノとヒトと共に
家族で暮らす状況は、私たちには慣れっこでした(笑)


そして海外旅行を仕事にしていた私は仕事がなくなり、
営業をしていた主人は営業に行けなくなりました。
日本で積み上げていたことが、ゼロになりました。

2018年に「このまま60歳まで人生このままでいい」なんて思っていた私たちでしたが、
その延長線上に生きていたら、このままが続くことはありませんでした。

苦しい時の一歩ではなく、「人生で一番上手くいっている!」と思った時に
自分の違和感に従ってあえて世界一周に一歩踏み出したからこそ
今の私たちがあると思っています。


そして「今しかない」と思って決断したけれど、本当にあの時の「今」しかなかった。。
2019年に出発し、2020年にコロナが始まり、今や長女はこの春から中学生。
あの時に「今だ」と思って出発していなかったら、世界一周はいつか行きたい夢のままで終わっていました。
写真 2020-02-05 1 46 43.jpg 673.13 KB(ペルーのマチュピチュにて    子ども達は「この公園で遊んだらお昼食べようね~」なんて言ってました(笑))

【コロナ禍に旅行会社設立へ】
旅行業に携わって16年。添乗員として現場でサポートし、お客様の想いを叶えるオーダーメイド旅行を作り続け、旅先で不安がないように現地サポートのガイドサービスを届けてきたけれど。

家族で世界一周をしながらうちの子ども達が言語も文化も違う中で、色々な国の子ども達と出会って一緒に遊び、けんかし、学び合い、好きなことに夢中になって一緒に取り組みながら成長していく様子を見ていてそんな旅行は今まで全くなかった。。と感じました。
S__131629081.jpg 651.87 KB(ポルトガルのホステルが一緒だったパキスタン人の男の子。よくケンカしていた(笑)/スペインで地元のお絵描き教室に参加/セブ留学が一緒だった韓国のお友達とお散歩/アメリカではご自宅にお邪魔させてもらい一緒にクッキー作り)

家族で旅をして子ども達の成長を感じながら「これからは旅行業が変わるな」と感じました。
インターネットでどんな場所も見られる時代。旅行は観光目的ではなく、そこで何に出合うかという『学び』が目的になる。

観光目的でも語学習得目的でもなく、<旅先の出会いや学びから、自分の未来の選択肢を増やしていく>ような旅をつくりたい。
それを子ども達に行ってらっしゃいではなく、「家族で挑戦できる旅」として届けたい。

そのために2020年10月、コロナ真っただ中にとことこあーすを旅行会社に変えて設立しました。

★今までの私の経験から感じた使命と、旅行会社とことこあーすになってからの取組みを残した後半はこちらから↓