博多天神の、大好きないつものカフェでこの原稿を書いている(2015年12月現在)。

ぼくが年の半分以上を過ごす、ニュージーランド〝湖畔の森〟から日本に戻ったのは一昨日のこと。
帰国の目的はイベント出演で、今回は10日間という短期間の滞在となる。

この、森の生活をベースとするライフスタイルも、早くも7年目に突入。
日本で滞在日数が年々減ってきていることもあり、〝来日〟といったほうがしっくすくるようになってきた。

日本では、拠点のある東京がホームだが、幼少のころから大都市が苦手ということもあり、ここ数年は自然豊かなコンパクトな地方都市で過ごす時間が増えてきた。
その中でも、特にここ福岡が一番のお気に入りで、仲間が多いこともあり、国内外でもっとも頻繁に訪れる街になっている。

大きすぎず、海へも山へも近い。
食事が美味しく、人々は温かく、行政がリベラル。
カフェのレベルも高く、ストリートや都市空間がとても独創的。

旅生活を営むぼくにとって、暮らしながら仕事をしたいと思える〝クリエイティブ・タウン〟の基準を、ほぼすべて満たしている。
さらに、LCC(格安航空会社)の乗り入れが多いうえに、空港が街に隣接しているといった、モバイルボヘミアンにとっては必須の条件「イージーアクセス」も兼ね備えている。

さて、連載3回目となる今回のテーマは、当シリーズのタイトルにもなっている、ぼくの肩書のひとつ〝モバイルボヘミアン〟について。
よく質問を受ける「ノマド」や「デュアルライフ」との違いを解説しながら、2回に渡って書いてみたい。

〈Model. Daisuke Yosumi〉

ぼくがレコード会社を退社し、アーティストプロデューサーの職を辞したのは2009年末。
2010年1月より、南半島と北半球を年に何度も行き来する移動生活を開始。

その頃は、ニュージーランドと日本という2つの国の往復がメインだったので、「デュアルライフ=二重生活」と称されることが多かった。

ただ、ぼくは当時からプロフィールに「ノマドライフ=遊牧民的生活」という言葉を使っていた。
ノマドという言葉が市民権を得るようになった〝ノマドワーカー・ブーム〟は、2012年あたりがピークだったと思うが、それ以前はまったく理解されなかった。

ちなみに、ぼくはときどき「ノマドワーカー」と呼ばれることがあるが、実はこれには違和感を感じている。

なぜなら、ぼくが主張してきたノマドの概念は、ワークスタイル限定ではなく、あくまで「ライフスタイルが軸」のものだからだ。
日本の場合、メディアの偏った表現のせいで、「ノマド=オフィスを持たずカフェで仕事をする人」という、偏った印象が刷り込まれてしまっている。

これは、ぼくのノマド哲学には合致しない。

 
 
四角大輔|Daisuke YOSUMIさん(@4dsk)が投稿した写真 - 2015 9月 14 5:22午前 PDT 

 

 




では、当時の移動パターンが2国間の行き来が基本だったのにも関わらず、デュアルライフではなく、ノマドライフという言葉を好んで使っていた理由は何か。

それは「国境」という概念が自分にはしっくりこないからだ。

ぼくの〝移動生活思想〟は国単位ではなく、あくまで都市単位。
山や大地を、少し飛び越えただけで人びとの暮らしはがらりと変わる。
文化は国ではなく街単位で存在する。

そうした旅の感覚を表現するには、ノマドのほうがしっくりきたのである。

(中編へ続く)