1980年生まれ、東京育ち。慶應義塾大学在学中にアムステルダム大学に交換留学を経験。株式会社集英社に新卒入社後、ファッション誌の広告営業と書籍のプロモーション業務を経て2011年に独立。組織に属さないフリーランスとして、ソーシャルメディアでの発信を駆使した肩書や専門領域にとらわれない独自のワーク&ライフスタイルを実践、注目を浴びる。雑誌『DRESS』の「女のための女の内閣」働き方担当相、 月間4000万PVを記録する人気ウェブメディア『TABI LABO』エッジランナー(連載)、越後妻有アートトリエンナーレオフィシャルサポーターなどを務めるほか、商品企画、大学講師、コメンテーター、広告&イベント出演など幅広く活動中。これまで世界54ヶ国を旅した経験を生かし、海外取材、海外ツアープロデュース、内閣府「世界青年の船」ファシリテーター、ピースボート水先案内人なども行う。TBS系列『情熱大陸』、フジテレビ『笑っていいとも!(テレフォンショッキング)』、NHK Eテレ『ニッポンのジレンマ』などメディア出演多数。著書に7万部突破の『冒険に出よう』、『20代のうちにやりたいこと手帳』(いずれもディスカヴァー・トゥエンティワン)、寄稿に『女子が旅に出る理由』(いろは出版)などがある。

落ちこぼれ担当だった塾講師バイトの経験が、のちの音楽プロデューサーとしての成功に繋がった


安藤美冬(以下、安藤)
まずは大輔さん、おかえりなさい!

四角大輔(以下、四角)
ニュージーランド(以下、NZ)の湖畔の森に引きこもってトレーニングと執筆ばかりしていたから、会話の日本語ボキャブラリが5分の1ぐらいになってるけど大丈夫かな(笑)。

安藤
他ではなかなか聞けない、学生時代のアルバイト話とか、そもそも子どものときはどんな夢を持ってたのか、人生の転機は何だったのかなど、うかがいたいと思っています。

四角
バイトはかなり色々やったな~。肉体労働から頭脳労働?まで幅広く、高校時代から数えると10以上はやったかな。

ぼくはよく、就職活動してる学生に、お金を払ってでもやりたい仕事をしたほうがいいよって言うんだけど、ぼく自身が昔からずっとそうで。

実際に今でも、お金を払ってでもやりたい仕事しか受けてない。そして思い起こせば、バイト選びのときからそうだった。

まず最初にやったバイトは高校生の時で、ピザ屋のデリバリー。

当時のぼくには憧れだったピザを食べれるんじゃないかっていうのが一つの理由。バイクが好きだったので、バイクに乗れるというのがもう一つの理由。見込みは外れて、実際ピザは食べられなかったけど…(笑)

安藤
その頃は、確か赤面症だったんですよね。

四角
そう。だから、届けるだけでいいっていうこのバイトがちょうどよくて。

けど、当時はインターホン鳴らしてお金のやり取りの、たった5分でもテンパってたことを今でも鮮明に覚えてる。ドアを開ける前に、お釣りを計算して準備しておいて、どんな紙幣を渡されても対応できるように、お釣りをポケットから即出せるようにしてた。

その後、喫茶店や居酒屋のウェイターもやってみたけど、接客業がぜんぜんダメで「お前はダメだ」と言われまくって、どれも超短期で終了(涙)。

ピザ配達の次にうまくいったのは、夏休みのバイトでカレー屋。理由はカレーが大好きだから(笑)。

安藤
私も大好き!

四角
そこは、昼と晩の賄いがカレーで。みんな一週間ぐらいでカレーはもういいや…って食えなくなるんだけど、ぼくはまったく飽きずに1ヶ月半ずーっとカレーを食べ続けて超ハッピーだった(笑)。

あとは、昔から整理整頓がすごく得意だったので引っ越しのバイト。

例えば、実家でも収納や片付けは、常にぼくの仕事だったんだけど、このスキルが社会で役に立つのかがずっと疑問で。それで引っ越しのバイトで試してみようと。その仕事では、荷物を最後にトラックに積み込むのは主任の仕事なんだけど…

安藤
パズルみたいにですよね。

四角
そうそう。この最後の積み込み作業はとても面倒だからみんな嫌がる。

けどぼくは楽しいし、自分の整理整頓能力を試したくて積極的にやっていた。そしたら、一年ぐらい経ってあいつは使えるなと認められて任されるようになった。

他だと、塾講師や家庭教師。でも、ぼく自身が勉強ギライだったんで、偏差値をあげてほしい!っていう生徒の担当はできなかった。だから、みんなが嫌がる問題児ばかりを引き受ける、落ちこぼれ担当になっていった。

家庭教師も、「学校に行くか行かないか」ぐらいの偏差値がつかない子を、なんとか学校や勉強机に向かわせる、という感じだった。そして色んなやりとりを通して、そんな落ちこぼれたちの内側に眠る「何か」を見つけ出すことが楽しくなった。

それは、「隠れた情熱」だったり「あることへの強い興味」だったり。そして、どんなに冷めてそうだったり、やる気がなさそうな子でも、そういった「強い何か」「熱い何か」を必ず隠し持っていることを知った。

ぼくはいつも「人は誰もがアーティストだ」って言うんだけど、実際に、圧倒的に何かに秀でてる人って、どこかに必ず大きな欠陥がある。だからこそ、それを補うための、何か1つのすごい能力がある。それは、音楽プロデュースの仕事だけでなく、これらの、「教える」バイト経験でも学んだことなんだよね。

〈Model. Daisuke Yosumi / 学生時代から、日本中の大自然に入り、登山やフライフィッシングを本気でやっていた〉

ぼくは小・中学校時代、クラスの落ちこぼれやいじめられっ子と、なぜかいつも気持ちが通じあった。そういう子の家に行くと、カメラがものすごく得意で、「何この写真…これ君が撮ったの!?」って衝撃を受けたり。

完全に非行に走ってしまい、皆が恐れるような怖いある同級生の部屋には、見た事のないマニアックな映画がいっぱい。彼には映画のことをたくさん教えてもらった。彼らは、学校ではそういう話を一切しないし、そういった魅力を教室では出せない。

塾講師や家庭教師という「勉強を教える仕事」は、元々まったく自信がなかったし、ぼく自身が勉強嫌いということもあって、むしろ嫌だった。

でもある時、知り合いのお母さんから、「不登校になりそうな息子をどうにかして欲しい」って言われて、それならやってみたいって思ったのがきっかけだった。

それは、「どんな人にも、必ず何か光るものがある」っていう経験を、子供の時にしてたからだと思う。

こうやって改めてバイト経験を振り返ると、お金を稼ぐための「時給仕事」をしていたっていうよりは、自分が好きなものとか、自分がワクワクするものばかりを選んでやっていたんだな~って思う。

安藤
この塾や家庭教師の話なんて、まさに音楽プロデューサーのときに開花した、突出した才能を見つけて伸ばす、というところに繋がりますよね。

四角
そうだね。今思えばそういうのは昔から得意だったんだなって。

いつも思うのが、日本の学校のシステムって、運動がすごいできるとか、部活で活躍するとか、背が高くてオシャレとか、成績もよくてクラスで目立つとか、「数えきれるほどの少ないジャンル」で突出しないと目立てないでしょ。

で、なんとなく「皆がこうしてるから」と、その「よくわからない流れみたいなもの」に乗っていたら、苦労せず、皆とうまいことやっていける…という不思議な同調圧力がある。ぼくはそれがすごくしんどかった。

ぼくの場合は、かなり頑張ることで、そういう流れにそこそこ合わせられたけど、当然まったく合わせられない人っているよね。いじめられっ子とか、非行に走ったりする子とか。まったく内にこもってしまう子とか。

ぼくは昔からそういう子と仲良くなれた。学校でなんとなく、皆と仲良くするよりも、放課後にそういう子と個別に話してる方が面白かった。

スターみたいな子っているでしょ。わかりやすい「何かメジャーなこと」ができるとか、気がきいて誰にでも優しいとか、見た目のバランスのいい子が人気者になりやすい。

そんなクラスで目立つような一見キラキラしているような子より、クラスや学校という、狭くて偏った世界では輝けないタイプと一緒にいるほうが面白かった。彼らの多くがいわゆるオタクだったりマニアだったりで。

むしろぼくは、そういう子から、世の中にはもっともっとおもしろい世界や、おもしろい考え方があることを教わった。そして、今の世界を動かしている人たちって、みんなそういう「ギーク」だよね。もしかしたら、そういう体験がアーティストプロデュースのルーツになってるのかも。

自分の人生を創るバイト選びは、適当にやらない


安藤
光の当たらないところに光を当てたいという思いはあるんですか?

四角
昔、自分自身がそういうスターではない、メジャーではない存在だったから。ときどき誰かが、光を当ててくれたりするとものすごく嬉しかったわけ。そういうのは関係してるのかも。

バイトの話に戻るね。本当にいろいろなバイトをやったのだけど、あるとき、メディアの仕事がしたいなって思って。当時、開局したばかりのFM局J-WAVEのハガキの仕分けの仕事を始めた。

でもそれって、ずーっと会議室の中でハガキを分けるだけだから、いわゆるメディア的な仕事ではまったくない。だけど、そのときにハガキを扱った番組の現場ディレクターが、後々J-WAVEのプロデューサーになって、のちにぼくがプロデュースしたCHEMISTRY、絢香、Superflyがすごくお世話になった。

安藤
それはたまたまですよね。とても面白い。ご縁というのは思いがけないかたちで繋がるのですね。

四角
メディアの仕事に触れてみたい…と思ってはじめたけれど、実際にしてるのは単なるハガキの仕分け。でも、全然関係のない会社のハガキの仕分けをするよりは、絶対に何かにつながると信じてやった。放送されているスタジオに入れたり、制作の仕事を見れるわけじゃないけれど、J-WAVEの「空気」を吸うだけでも、絶対にプラスになると。

ハガキを仕分けするときに、会議室で3人ぐらいでやるんだけど、面倒くさいから適当にやる人、きっちり丁寧にやる人、という感じで個性が出る。ぼくはとにかく、流れ作業が嫌いだったから、これをどうやったら楽しめるか、どうやったら最短でできるかってことを常に考えてた。

安藤
あ、わかる~(笑)

四角
ハガキの置き方一つで作業が速くなるよね。昨日よりも微妙に並べる角度を変えてみたりなど、毎回、小さなイノベーションを試してみては時間を計ってた。そうすると退屈なはずの雑務が、クリエイティブなゲームになって面白くなる。

そういった単純作業における創意工夫も、その後の仕事に役立っている。ピザ屋もカレー屋も含めて、自分の「思惑」がちゃんとあってやったバイトは必ず、何かにつながってる。時給がいいから始めたバイトもあったけど、そういうのはやっぱり続かなかったし、自分のスキルにもならず、その後の人生ともつながらなかった。

なによりも、自分自身がクリエイティブになれなかった。

学生に伝えたいのは、就職活動、インターンをする前にバイトをすべし!ということ。そして、一つのバイトが絶対その後の人生に大きな影響を与えるから、バイト選びは適当にやるなって言いたい。

何かしらの理由や思惑をちゃんと持って選ぶ。ぼくのように、カレーが好きだからカレー屋みたいな低レベルな理由でもぜんぜんいい(笑)。こういう職種に興味ある、この業界のことを知りたい、という思惑があるなら、雑用でもいいからなんとかしてその世界の末端にでも潜り込むことだね。

〈Model. Daisuke Yosumi / 生きていてもっとも自分らしくいれる時間は、湖でフライフィッシングをしている時。これに気付いたのが学生時代〉

安藤
私も、高校2年のときに池袋郵便局で年賀ハガキを仕分けする短期バイトをしていたのですが、それがあまりにも面白くて。担当区域のひとつがサンシャインシティで、山のように送られてくる映画の試写会やイベントへの応募ハガキを毎日仕分けしていました。

最初は特に気にもとめなかったのですが、だんだんハガキに凝らした工夫が気になってくる。なかにはどうしても当てたい猛者がいて、同じ人がメッセージを変えたり、色ペンでハガキの淵を囲んだり、映画の主人公のイラストを描いたりしているわけですよ。

別に自分が当選者を決める立場にあるわけではないのに、「この人は当選させてあげたいな」とか、「このマーカーペンはハガキの束の中でもひときわ目立つな」とか、色々とつかめてくる。

四角
それも今の仕事や自分のブランディングに活きてるよね。

最近、日本の学生は勉強しないとか、ってよく言うでしょ。ぼくは、大学4年間でやれる「勉強」なんて、たかが知れてると思ってて。

例えば、医者とか弁護士とか、1年目から専門が決まっててゴールがはっきりしてるようなコース以外は、4年間何となく勉強するよりは、バイトを通して「社会勉強」をしたほうがいいんじゃないかなって思う。単なる時給仕事ではなく、自分の人生を創ってくれるバイトをね。

でも付け加えておくと、ぼくは、英語だけは必死に勉強した。

英語は、人生にもめちゃくちゃ活きてるし、役に立ってる。英語ができることで、日本語という言語や、日本という国に縛られなくなり、すごく自由になれた。仕事にも繋がってるし、夢実現のための「大きなエンジン」にもなった。

今自分がこの勉強をすれば、後々これは絶対に役に立つと思うものがあるなら、それに力を注ぐべきだと思う。たとえば美容師やプログラマーになりたい!と心の底から思える人は専門学校に行ってとことん勉強すべきだけど、そうでないなら自分の興味のある業界や職種のバイトをしたほうがいい。

ぼくは、英語とバイトとフライフィッシング(釣りの一種)しかしてなかったもんなぁ、大学のとき。

そして、この3つは間違いなく、今のぼくのライフスタイルをデザインしてくれている。

 

▽シリーズ《安藤美冬が迫る、四角大輔の真実》
【安藤美冬が迫る、四角大輔の真実①】バイトが人生を創る!?

【安藤美冬が迫る、四角大輔の真実②】〝ライフテーマ〟のルーツ
【安藤美冬が迫る、四角大輔の真実③】人生の転機
【安藤美冬が迫る、四角大輔の真実④】本当のキャリアデザイン