『バックパッキング登山紀行〜歩いてしか行けない世界へ』 は、四角大輔が10年以上かけて、複数のアウトドア雑誌や登山雑誌に綴ってきた、身1つで自然界の奥を目指す数々の冒険記から〝19篇〟を厳選した紀行本。


衣食住を背負い、山や原野を歩き続けるバックパッキング登山。
森や谷の奥に生息する野生魚を追い求める、フライフィッシング冒険。
これらは、ニュージーランドと日本全域、1泊2日から2週間までと、豊富なバリエーションを誇る。


身軽で自由な働き方を創造し、最小限の荷物で世界で移動生活を送る著者。ミニマリスティックな生き方を追求する彼のルーツは登山にあった。


心を震わせるような絶景を求め、本当の自分に還るために重ねてきた、1つ1つの山旅が彼の人生を創ったという。

「日本にも、歩いてしか見られない景色がまだある。ぜひ、人生を変えるような自然紀行に挑戦してほしい」とは彼の言葉だ。

***


ここでは特別に、彼独特の自然思想のルーツがわかる一篇を全文公開したい。

〈源流ネイティブを追い、森と海を想う〉
南アルプス・三峰川源流釣行


豊かな森が海を創り、豊かな海が森を創る。

そして、森と海を繋ぐ動脈の役割を果たすのは川だ。
森の栄養を含んだ豊穣の水を、川は絶えず海に運び下ろす。そして、命の源である海から森に栄養を運び上げるのは、川と海を行き来する遡上魚だ。古き良き時代、驚くほど多種多様で大量の魚が日本の森と海を往来していた。

でも、そんな日本の川は、今や壊滅状態。ダムや堰がない川は国内にわずか数本しか残っておらず、日本中で目にするのは、川を分断するコンクリートの塊。

この国では、どんな奥深い谷にも人造物がある。大自然の中で、恐ろしいほどの異物感を放ちながら、我が物顔でモンスターは鎮座し、森と海を切り離す。

〈Photo. Daisuke YOSUMI〉

尾根や稜線沿いを進む山歩きよりも、谷歩きの方が自然破壊を目の当たりにし、心がきしむような哀しみに襲われることが多い。そんな川の旅を続ける釣り人は、誰よりも自然環境に敏感だ。

一見、きれいな沢でも、岩魚(いわな)や山女魚(やまめ)などの渓流魚が棲息しない渓流は無数にある。彼れらは脆弱な生き物なので、ちょっとした環境変化に対応できず、あっという間にその姿を消してしまう。

釣り人というのは、川を上から眺めるだけでなく、糸を通して魚と繋がることで、川の中を覗くことができる。つまり、釣りを通じて、陸上からは見ることのできない水中世界の状況を理解できるようになるのだ。

結果、釣り人の想像力は豊かになり、川を、谷を、森を、そして海を心から愛してしまう。

これぞ南アルプスの谷を象徴する風景。水が落ち込む淵には必ずと言っていいほど岩魚がいた〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi〉

過去20年以上、日本中の水辺を旅してきた。各地で個人レベル、民間有志レベルで、川や湖を守ろうとする何人もの熱き活動家達に出会った。やはり、彼らのほとんどは釣り人だ。

中央高速道を走る友人の車に乗りながら、これから行く渓へ想いを馳せていた。下道へ降りると、あっという間に深い渓谷に囲まれ、窓から冷涼な風が入ってくる。

海に近く、ネオンが輝く東京都心部から、たった2〜3時間。日本で山旅に出かけると、この国のそんな稀有な国土形態に、毎回感嘆してしまう。

やっぱり日本の森はいい。ニュージーランドから帰国し、久々の日本での山歩き。南アルプスの野呂川沿いのトレイルを歩きながら深呼吸し、清浄な空気を体に送り込む。

〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi〉

目指すは、富士山に次ぐ国内標高2位の北岳!ではなく、北岳を見上げる谷合いに建つ両股小屋と、そこに生息するヤマトイワナだ。多くのハイカーが中継地点に使っているその山小屋が、今回の目的地である。

両股小屋に着くなり、すぐに釣りの準備を開始。この小屋の目の前を流れる清流はイワナの聖地だ。落ち着けと言われても無理である。

6月中旬のこの時期はまだバスが完全に開通しておらず、かなり手前の歌宿バス停からここまで、5時間半の道のりを歩いてきた。

明日からは、ここから3時間ほど手前の北沢峠までバスが走る。なぜわざわざ倍近い距離を歩いてきたのか。それは、人が入ってくる前に釣りをしたかったからだ。釣り人の卑しい性である。

〈Photo. Shotaro Kato

冷静になろうと流れに手を入れると、3秒ほどで激痛が走る。
水が刺すように冷たい。

数日前の豪雨の影響で渓に大量の雪解け水が入り、水温が急激に下がったためだ。そのため、岩魚は食べる気がないのか、反応はあまりよくない。

でもここは奥深い源流部。しかもまだ多くの釣り人がくる前ということもあり、魚がまだスレていない。ハイシーズンのようにはいかないが、岩魚は確実にぼくのフライ(毛ばり)に出てくれる。

倒木の間にフライを通すべくキャスト。〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi〉

大きな淵には、大きな岩魚がいる可能性が高い 〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi〉

初日は、少し竿を振っただけで両股小屋に戻ってきた。まずは魚に出会えたことで心の余裕を取り戻すことができた。

谷間のここはケータイ圏外。聞こえるのは沢の音だけという至福のオフラインタイムだ。歩いて岩魚を釣り、小屋でうまいご飯を食べ、寝るだけのシンプルライフの始まりである。

ぼくら以外の客がいない貸し切り状態で、魚、宿、森すべてを独占。こんな贅沢が他にあるだろうか。

〈Photo. Shotaro Kato

両股小屋は、昔ながらの雰囲気が残る味のある建物だ。ぼくが通い詰めるメジャーな北アルプスの山小屋がどんどん近代化していて、それに慣れていたこともあり、マイナーな南アルプスらしいともいえる古きよきものが残る空間にほっとしてしまう。

灯油ストーブとコタツが、さらに心を弛緩させる。そしてなによりも、ここで30年以上も働いてきた小屋番の、星美和子さんの笑顔にたまらなく癒される。きっとこの笑顔も、ずっと変わらずにここにあったのだろう。いつの時代も、世界中どこでも、人の温かみこそがいい空間を作るのだ。

滞在中、毎回ご飯は山盛りで提供される。星さんの笑顔に見守られながら、それを頬張っていると、なんだかここがホームのように感じられるから不思議だ。多くの釣り人やハイカーがリピーターとなり、通い詰める理由がよくわかる。

釣りをすると腹が減る。飯にがっつくぼくらを見て、後ろで笑ってるのが星さん〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi〉

翌日、さらに上流部の、左俣沢と右俣沢の奥を目指す。下流部へ行けばもっと大型が釣れるが、源流部に近づけば、この川の原種ヤマトイワナに出会える可能性が高まる。

サイズが小さくても、ここで生まれ育った希少な個体に出会う度、小さな感動が湧き上がってくる。ニュージーランドでどんなに大きなマスを釣り上げても、この感覚を手にすることはできない。

魚の価値というのは、大きさだけではないのだ。

今回の釣行でのマイベスト。30cmはゆうに超えていただろう。野生の凄みに怖気づく〈Photo. Shotaro Kato

岩魚には、実はたくさんの種類がある。過去、この下流部に大量のニッコウイワナが放流されたことにより、原種のヤマトイワナが激減してしまった。それは、日本中の川で行われてきた悲しき蛮行の1つ。無惨な交配が進み、ここだけでなく、やがて日本中から各地の原種の岩魚が姿を消した。

残念なことに、釣り人が自然を壊すこともある。数年前、テントを背負い、誰にも教えたことのない南アルプスの秘密の谷へ登ったものの、岩魚がいなくなっていたことがあった。

学生時代に見つけて通い続けたその沢は、行くと必ずかなりの数の岩魚が釣れた。一体なにが起きたのかと地元に人に聞くと、心ない年配の釣り人グループがやってきて、岩魚を根こそぎ持って帰ってしまったという。

大量に魚を持ち帰る悪行を「魚を抜く」と呼ぶ。環境を守る多くの釣り人がいる中、自然を壊してしまう釣り人もいる。悲しい矛盾だ。

最終日、下山しながら再び多くの堰堤を目にする。標高2000m近い山奥に、なぜこんな物が必要なのか。文明を進化させてきた人類は偉大かもしれない。でも、昔からずっとそこにあったものを守り続けることの方が、もっと難しく、きっと偉大な行為なのだと思う。

〈Photo. Shotaro Kato / Model. Daisuke Yosumi in Japan〉


◯取材日:2013年6月中旬
◯おすすめ時期:6月下旬〜7月下旬(人がまだ少なく釣れる)、9月下旬〜9月中旬の禁漁まで(人が減ってまた釣れる)
◯アクセス:マイカー規制があるので、車ではアクセス不可。
山梨県側からは甲府駅→広河原都バスを乗り継ぎ、野呂川出合で下車。そこから徒歩で2時間半。長野県からは伊那市駅→仙流荘→北沢峠とバスを乗り継ぎ、同じく野呂川出合で下車。
◯アドバイス:解禁直後はスレてないが、活性が高まる夏場の方がメインシーズン。
◯注意事項:キャッチ&リリースエリアがあり、崩落も多い沢が釣りのフィールドとなる。小屋より奥の沢に入るなら、それなりの準備とスキル、情報収集が必要。

***


『バックパッキング登山紀行〜歩いてしか行けない世界へ』
 https://amzn.to/2JaHdwy

『バックパッキング登山入門〜自由に山を旅する61の流儀』
https://amzn.to/2L3DhiR
*彼が30年かけて構築した、この独自の山旅ノウハウ本を併せて読んで、あなたも大自然へ冒険に出よう。