ニュージーランド湖畔の森に自生するハーブやキノコを食卓に並べ、庭で育てたオーガニック野菜と、湖や海で釣った野生魚を主食とする自給自足の暮らしをしていると、お金をほとんど使わなくなる。その生活に慣れてくると、「おカネ」とはいったいなんだろうと思うようになってくる。

先進国や新興国に住む多くの人が、「食べるためにお金を稼ぎ、お金を稼ぐために働くこと」こそが、〝正しい生き方〟だと教え込まれる。

その結果、とにかく、できる限りたくさんのお金を稼ぐことが「幸せ」のゴールだと勘違いしてしまうのだ。

家庭や学校、社会で、その〝正しい生き方〟をするための教育を受けているうちに、そのレール上での競争に勝つことや、そのレールで高みに登りつめることが「絶対の社会常識」だと信じて疑わなくなってしまう。



ぼくが暮らす湖の畔には小さな集落がある。ここにある文明的なインフラは最小限だ。水道はなく(飲料水は湖水)、排水はバイオ式、そしてよく断線する脆弱な電線と電話線がかろうじて通っている。

当然、コンビニや自動販売機、街灯もない。

大雨が降れば土砂が、大風が吹けば樹々が、街に出るための道をふさぐ。

家が森の中にあるため、侵入してくる虫たちとの攻防戦は日常だ。そんな、不便極まりない場所に暮らす人たちは、ぼくを含め〝ヘンジン〟が多い。

ここで言うヘンジンとは、大量消費社会やマネー主義、都市空間での暮らしにマッチしない人たちのことだ。



長年暮らした東京を飛び出し、南半球のへんぴな大自然での暮らしを選んだ〝日本を代表するヘンジン(笑)〟であるぼくにとっては、とても居心地のいいコミュニティなのだ。

そしてここには、ぼくと同じように、有機農法や自然農法で野菜や果物を育てる人が多い。ある人は葉物をメインに育て、ある女性は根菜類を得意とする。そして、ハンティングの達人、釣り名人、森に自生するハーブやキノコ博士など、あたり前のように自分で食糧を調達する仲間がたくさんいる。

集落の住民同士での、それぞれの獲物や収穫物の物々交換は日常的に行われる。いや、物々交換という言葉には語弊がある。いろんな食べ物がどんどん回ってくるのだ。「ギブ&テイク」ではなく「ペイフォワード(ギブ&ギブ)」だ。我が家にも、旬の野菜や果物といったさまざまな食材が届けられる。

〈有機薬栽培の師匠でマオリ族のメアリーからの差し入れセット〉

これは恩返ししないと!
という気持ちになって、釣りが得意なぼくは近くの海で釣ったタイやヒラマサをさばいてお礼に手渡しすると、その魚を調理して美味しいワイン付きのディナーに招待してくれたりするのだ。

そうすると「またお返ししないと!」という気持ちになる。がんばってさらにお礼をしても、また過剰なお返しが届く。

この〝常に貰いすぎ状態〟はいつまで経っても解消されないのだ。貨幣制度から距離を置きながら、小さなコミュニティでそんな心のやりとりを続けていると、資本主義社会における「勝ち負け」や「奪い合い」という基本ルールに強い違和感を抱くようになる。

次号では、さらにお金の存在意義に疑問を投げかけるべく、物々交換の枠を超えた「モノとスキルの交換」について書いてみたい。

〈ご近所さんにもっとも好評なのがこのマダイ。刺身、煮付け、焼き、どう調理しても美味しい。実は、ニュージーランドの海では、日本にとても近い種類の魚が釣れる〉

〈All of photos with no credit: Daisuke YOSUMI〉

▽シリーズ《お金から自由になるということ》
①お金から自由になるということ・前編
お金から自由になるということ・中編
お金から自由になるということ・後編