ロトルア湖に流れ込むノンガタハ川を上流へ釣り上がっていたときのこと。

この日は、いいサイズの鱒が湖からたくさん川を遡上していて、おもしろいように釣れた。森のなかの湧き水の流れを夢中になって歩いていると、大柄の赤鬼のような白人男性が川原に立って、ぼくをじっと見ているのに気づいた。

視線の強さにただならぬものを感じつつも、「ハーイ!」とニュージーランド恒例の笑顔での挨拶をしてみたが、男は険しい表情を変えない。不安になり、男に近づいて行くと、

「私有地の看板は見なかったかい? 君は誰かの許可を得てここに入っているのかい?」

と訊かれた。
ぼくは知らぬまに私有地に入っていたのだ。ニュージーランドでは、オーナーに無断で私有地に入ると懲役になることもある。

「私有地の看板に気づかずここまで来てしまいました。誰の許可も得ていません」

ここは正直に答えるしかない。

「日本人かい?」

と男。

「そうです。東京から来ました」

と答えると、突然、男の顔がクシャッと崩れて笑顔になった。

「やっぱり! 君の英語は日本語なまりがあると思ったんだよ!」

〈Photo by Shotaro Kato〉


男の名前はマーリンといって、数年前に日本人留学生を受け入れたことがあり、幸運にも超日本人びいきだったのだ。

川の畔の素敵な家にあげてもらい、ボランティアで日本人移民に英語を教えているという奥様も一緒に、なんと静岡産の緑茶をごちそうになって、釣りそっちのけで日本のことやニュージーランドのことを語り合った。

マーリンは川を愛していた。

自分の土地を流れるその川の地図を自作しており、そこには、鱒が釣れるポイントと、そこで釣りをするときの細かい注意点が書かれていた。立ち入り許可を求めてくる釣り人を快く受け入れるだけでなく、一人ひとりにその地図を渡しているのだ。

「ぼくはリバーキーパー(川の守り神)みたいなもんさ」

そう照れくさそうに微笑むマーリンの人柄に、ぼくは一瞬で魅了された。

それ以来、ニュージーランドに行くたびに、お土産を持って彼らの家を訪ねるようになった。そしてその後、彼らマーリン&ヘザー夫婦は、ぼくのニュージーランド移住に向けての強力なサポーターとなってくれたのだ。



こうしてニュージーランドを知るにつれてわかってきたのは、ニュージーランドのフライフィッシングが素晴らしいのは、豊かな自然があるからだけでなく、自然や魚を愛する人間たちが先導して、ルールを整備したり、環境を維持しようとしているから、ということだ。

なにもせず、放っておいて、いまのような釣り場環境があるわけではないのだ。現代では、豊かな自然を維持するためには、人間の創意工夫とたゆまぬ努力が必要になっているということだ。

ニュージーランドでは、国から委託を受けた「Fish & Game」という、行政を動かすほどの影響力を持っている非営利団体が、全国の淡水域を管理している。

国じゅうの川や湖を調査して、たとえば、鱒が増えてその平均サイズが小さくなった川では、釣った魚を持ち帰ることを推奨し、鱒が減った川では持ち帰りを禁止したりと、そのときの状況に合わせて各地の細かいルールをフレキシブルに決めている。

釣り人たちはそのルールをあたりまえのこととして守る。そして、釣り場でゴミを目にすることはほとんどない。そしておもしろいのは、ニュージーランドの湖畔の街では、いたるところで、鱒をモチーフにしたポップなデザインを目にする点だ。

家のポスト、玄関のドア、ガレージの門、車のナンバー、カフェのお皿、店の看板。それに、排水溝の入り口、ガードレール、ベンチの背もたれ、歩道、ゴミ箱、標識などの公共物にも鱒が登場する。鱒は、単なる可愛らしいキャラクターとしてではなく、自然界からのメッセンジャーとして、また人々の暮らしとともにある生き物として、象徴的に描かれているのだ。

こういったことから感じられる精神性が、この国の文化をかたち作っている。

ニュージーランドの釣り人たちは単なる趣味人ではなく、多くがナチュラリストだ。魚にとっていい環境とは、人間を含めたあらゆる生き物や自然形態にとっていい環境であり、そういった環境があれば、素晴らしいフライフィッシングができるだけでなく、すべての人間が幸せに生きていけるはずだと考えている。

人間至上主義でもなく自然至上主義でもない。そこがいい。

ぼくは、いきいきとしたニュージーランドの自然と鱒と人間の関係を知って、人間に生まれてきてよかったと思えるようになっていた。



そうしてニュージーランドに住処をみつけた頃、ロトイチ湖という湖で朝焼けを見てからニュージーランドを発ち、成田空港からぼくがプロデュースしている(当時)、シンガーソングライター絢香のコンサート会場に直行したことがあった。

そのとき、ロトイチ湖の荘厳な朝焼けと彼女の神がかった歌声がぼくのなかで重なった。

いつのまにか、ぼくは、

「人間がつくりだすものも、自然がつくりだすものと同じように美しい。そんな人間そのものがじつは素晴らしい」

と思えるようになっていた。
そして、ぼくはプロデューサーとして絢香のそばにいて、彼女の凄まじいまでの努力を知っている。

「努力する人間の姿は、どんな荘厳な自然現象よりも美しい」

いつの間にか、ぼくは、そういい切れるようになったのだ。

ニュージーランドという心のよりどころを得て、ようやく人間と向き合うことができるようになったのかもしれない。

それを機に、ニュージーランド移住への気持ちも変わった。

前は「世捨て人」気分で移住するつもりでいたが、いまはちがう。人間とつながりながら、ニュージーランドの自然のなかで暮らしていきたい、と思うようになった。

幼少期に釣った小さなフナをきっかけに始まった旅が、だいじな通過点を迎えようとしている。心に描いた理想郷に還るときが近づいてきたのだ。それはひとつの終わりのようであり、始まりのようでもある。

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〈あとがき〉

この原稿を書いたのが2008年。つまり移住の2年前。
(当メディア掲載時に大幅なリライトを加え、最新情報に更新している)

2022年12月現在。
ニュージーランドの湖での森の生活はもうすぐ13年目に突入。理想として描いてきた以上のライフスタイルを送ることができている。

Vol.03の原稿に書いた条件のほぼすべてが満たされていて(湧き水の川が徒歩圏内ではなく、車で3分か、ボートで5分かかる・笑)、それはまるで〝人生の奇跡〟ともいえるほどの感動体験となっている。

正面から登ってくる夜明けを眺めながら目覚めるたび、体が震えるほど感動し、「これほどの人生が待っていたなんて」という感情が溢れ、苦しかった時期のことを思い出しながら、「ありがとうございます」と感謝の言葉が湧き上がってくる。

頭だけで考えて「〝可能性の有無〟や〝損得〟で決める(=偽の衝動)」のではなく、「心の真ん中から発せられる声(=本物の衝動)」に従い、ただただシンプルに生きることが、どれほど素晴らしいことかということを、心底から理解することができている。

ぜひみなさんも、「無意味な常識」や「周りの意見」に振り回されたりせず、自分の心の声と魂の叫びに耳を傾け、あなた自身の人生を歩んでいただきたいと願う。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

完。


▼連載|NZ移住物語
ホームプレイスを求めて。「NZ移住物語01|理想郷を探す旅」【誕生〜...
心が壊れたプロデューサー時代。「NZ移住物語02|理想郷を探...
失った自分を取り戻す。「NZ移住物語03|理想郷を探す旅」【...
④そして最終章。「NZ移住物語04|理想郷を探す旅」【決意編】