「こんな暮らしは嫌だ。いつかニュージーランドに住むんだ」
トシゾウのおかげで、ぼくはニュージーランドに惚れ込んでしまっていた。ニュージーランドについての書籍、雑誌、映像、写真集などを買い漁り、情報を集め、完全なニュージーランド・オタクとなった。
北海道への釣り旅も、ニュージーランドへの憧憬も、自分が置かれている状況からの逃避行だった。
とにかく、北海道やニュージーランドの自然は「全面肯定」、東京の人混みと街と仕事は「全面否定」だった。
〈Photo by Shotaro Kato〉
最初にニュージーランドに行ったのは、1999年。
ニュージーランドに降り立ったとき、すぐにしっくりくるものを感じた。地面から沸き上がってくるなにかがとても心地よくて、安心できた。
「あ、還(かえ)ってきた」
とぼくは思った。
仕事柄、海外出張が多いし、プライベート旅行や留学などで、それまで10数か国を見てきたが、ニュージーランドのしっくりくる感じは特別だった。
歩いていても、レンタカーを走らせていても、飛行機から大地を見下ろしていても、「ぼくはここが大好きだ」という気持ちがジワジワと湧き上がってくるのだった。
なぜだろう。
思い込みかもしれないが、ぼくの顔つきはどこかニュージーランド先住の民、マオリ族のような感じがしないでもない。実は、そうよく言われたりもしたし、マオリ族の人たちとはいつも、すぐに意気投合していた。
幼少のころからだから、この時点でおそらく20年は続けていただろう「理想郷=ホームプレイス探し」。もはや〝妄想レベル〟となっていたその集合体が、一気にニュージーランドの風景と重なった。
「ぼくはニュージーランドに暮らすんだ」
改めて、そう決意を固めた。
それ以来、年に1、2回のペースでニュージーランドに行くようになった。
子供の頃から釣りの旅を続けるうちに、ひとつのことに気づいていた。ぼくはあらゆる水辺のなかで、透き通った水の湖がなによりも好きであることに。
15回を超えたニュージーランドへの逃避行では観光地へは一切行かず、湖畔から湖畔へ移動を繰り返し、ニュージーランド中の、畔に人が暮らせて、マスが釣れるすべての湖の畔の街を訪れた。そして、どの湖の水も澄んでいた。
ニュージーランドは、赤道を挟んで日本のちょうど反対側に位置し、日本と同じく南北に長い島国だ。日本から九州を引いたくらいのおおきさだが、人口は500万人程度と横浜市民より少し多いくらい。はっきりとした四季があり、春と秋が長くてすごしやすい。
ニュージーランドには、もともと、9世紀頃にやってきたポリネシア人を祖先とするマオリ族が住んでいた。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパからやってきた移民たちは、マオリ族を迫害するという悲しい歴史を経験したあと、大きく反省し、世界に先駆けて先住民の権利をフェアに認めた。
公用語は、英語、マオリ語、そして手話だ。手話が公用語になったのも世界初。世界で最初に、女性への参政権を認めたり、労働者の最低賃金を設定するという実績もつくった。マイノリティや社会的弱者にやさしい国。
また、原生林を開拓して牧場にしたり、原種の希少な樹々を木材にして激減させるなどの時代を経て、1990年代後半からは自然保護政策に力を注ぐようになった。どこよりも早く、「国全体をカーボンニュートラルにする」と宣言し、国を挙げて地球温暖化対策に取り組んでいる。
水力、地熱、風力などの自然エネルギー発電で消費する電力の約8割を賄い、新たな火力発電の建築を禁止、原子力発電所は一つもない。外部からの原子力持ち込み禁止を徹底しており、どんなに政治的圧力をかけられても、原子力搭載の疑いのある米軍空母を寄港させない。
このように非常に先進的で、政治的に独立しているため、西側英語圏で唯一、国際テロ組織アルカイダの標的にされていない。
そして、国家の歳出削減のため、経費のかかる戦闘機の保有をやめて、事実上、空軍を廃止している。戦争、テロ、重犯罪と縁がなく、治安がいいこの国は、2009年、北欧諸国やスイスを抑え、「世界でいちばん安全な国」に選ばれた。「汚職の少なさ」でも世界ナンバーワンになっている。
食料自給率はおよそ400%。教育費、医療費、出産費用はすべて無料だ。そして、驚くほどしっかりと年金がもらえる制度を整えている(永住権を持つぼくも、なんと、これらすべての権利を手にできている)。
ただし、あくまでこれらは、あとで知った情報にすぎない。
何度も通い、この国をより理解するにつれ、ぼくの「ライフスタイル思想」と「理想とする生き方」にマッチする要素が、多数存在することを知るようになる。それはまるで、〝人生の答え合わせ〟がされていくような不思議な感覚だった。
最初は単に「フライフィッシング天国」、そして「湖が驚くほど美しい」という、2つの、とても稚拙な理由に惹きつけられ、行動してきたという事実は述べてきたとおり。
そんな〝言葉にできない衝動〟〝胸が沸騰するような衝動〟を抑え切れなくて、ひたすら愚直に、ニュージーランドを追い求めて来たにすぎないのだ。
そして、この国はフライフィッシングへの理解が進んでいて、レギュレーション(ルール)も完備されている。
リベラルで、人が少ない自然が豊かな釣り天国。ぼくにとってこんなにいい国はあるだろうか。
ニュージーランドに住む。
そこには、土地の縛りも、血縁の縛りも、仕事の縛りも、人間関係の縛りもなにもない。つながりがなにもないから、ゼロスタートになるし、わからないことだらけで大変だろう。
しかし、制約だらけの日本での、東京での暮らしから考えると、制限がまったくない、つまり「制約ゼロ」ということがぼくをいちばん興奮させた。挑戦とはそういうものであり、人生そのものが冒険なんだと。
「やっと自由になれるんだ。自分自身に還れるんだ」と思った。
住処を選ぶにあたり、とても欲張りな条件をあげた。
なんの制約もないわけかだら、とにかく自由なのである。
庭が湖に面している。
庭に桟橋があって船を停泊できる。
庭先から大きな鱒が釣れる。
湖の水が飲める。
湧き水の川が徒歩圏内にある。
原生林が近くにある。
野菜と果物のオーガニック栽培に適した土である。
海まで車で一時間以内の距離にある。
冬寒すぎず夏暑すぎない。
雨が少なく日照時間が長い。
物価が安い。
買い物に不便でない、
治安がよい。
しっかりした医療・教育施設がある。
そして、ネットが使えること。
これらの条件の九割を満たす街として、候補地を四つに絞り、数回のリサーチをへて、ある美しい湖畔の小さな集落を移住先に決めた。
フライフィッシングという、ある一つのマニアックな単なる「魚釣り」が、〝人生における理想郷とはなにか。それがどこにあるのか〟を教えてくれたのだ。
〈Photo by Shotaro Kato〉
ニュージーランドの鱒たちは大きくて美しい。野生魚ならではの筋肉質で引き締まったボディは、金属的な輝きを見せる。その力強さは、魚というよりも動物のようで、ひとたび鉤にかかると、陸上の人間をひきずりまわす。
この「魚離れした鱒たち」には、一尾一尾に名前をつけたくなるような個性と存在感がある。フライフィッシングは、一生忘れられない一尾と出会うための釣りなのだ、ということをこの地であらためて学んだ。
人間は自然に相手にされていない。魚にいくら想いを馳せてもフラれ続ける。だからこそ、フライフィッシング的な奇跡が起きると、その魚は「忘れられない一尾」になる。
厳しい自然のなかを生き抜いてきた野生魚が鉤にかかった瞬間、心臓がはじけるのは、相手にしてくれないはずの自然が振り向いてくれて、自分の存在を認めてくれたという感動があるからだ。
畏敬の念と感謝の気持ちが溢れてきて、思わず「ありがとう」と口にしてしまう。魚に触れるとき、指が震えてしまう。
魚が釣れたのは、人間が魚や野生に勝ったということではない。
もしかしたら、1割くらいは釣り人の技術や知識が要因になっているかもしれないが、しょせん、そんな程度だと思う。
そう思うと、人間特有の傲慢さが薄れてこないだろうか。
▼連載|NZ移住物語
①ホームプレイスを求めて。「NZ移住物語01|理想郷を探す旅」【誕生〜...
②心が壊れたプロデューサー時代。「NZ移住物語02|理想郷を探...
③失った自分を取り戻す。「NZ移住物語03|理想郷を探す旅」【憧れ編】
④そして最終章。「NZ移住物語04|理想郷を探す旅」【決意編】
2016/01/21 11:00