レコード会社プロデューサーの職を捨て、
巨大魚と冒険、そして真の自由を求めてニュージランドへ移住。
サスティナブルな半自給自足の”湖畔の〝森の生活〟を営む男が
ずっと歩きたかった
〝川と原始林のロングトレイル〟へ挑む。
▶︎ 文章&モデル:四角大輔|Daisuke YOSUMI
▶︎ 写真:山岳フォトグラファー加戸昭太郎|Shotaro KATO ▷ instagram
▶︎ 協力:ニュージランド航空、ニュージランド政府観光局
【前編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【前編】 ~ 水と...
【中編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【中編】 ~ 水と...
【後編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【後編】 ~ 水と森のロングトレイル、無常の世界 #03 ~
〈DAY 05〉
壮絶な集中豪雨と
爆風はこの国の首都機能を
完全に止めていた。
5日目。
晴れ。少し寝不足。
〈この国の象徴的存在のシダ。この枯れたシダの葉が暖炉での火付けに大活躍〉
窓から明るい光が入ってきている。
小屋の外に出て空を見上げる。
奇跡だと思った。まさかの晴天。
寝袋をたたみ、朝食を食べ、パッキングを済ませる。
冒険生活における毎朝の日課だ。
世界的サーフブランド『BILLABONG』と共同開発中の、水陸両用のボードショーツの下に速乾性サポートタイツを履き、膝下の保護と保温のための超軽量1mmネオプレーン製の『airista』WDゲーター&ソックスを装着。
いつもの川歩きスタイルだ。
いつもより体が軽い。
昨日のニジマスの温かい命と、タンパク質やビタミン、ミネラルなどの新鮮な栄養分が、ぼくの体の一部になっているのを感じる。
この森に、川に生かされている。
ありがたい。
今日も一日、この体を大切にしながら歩こうと、改めて思わされた。
川が気になる。
だが、この小屋の位置からは川は見えない。
昨夜ずっと続いていた豪雨が、川にどれほどのダメージを与えているか、胸は不安でいっぱいだ。
バックパックを背負い、祈るような想いで川に降りてゆく。
〈ここを使った人が必ず記録しないといけない「Hut Book」これを見ると、いかに人が来ていないかがわかる〉
「あ........」。
流れを見て言葉を失う。
そこには透明な清流はなかった。
恐ろしい竜が、怒り狂ったようにうねっていたのである。
昨日、ぼくに豊穣の肉片を与えてくれた母なる川は、暴力的な濁流に豹変していた。
それでも、何とか渡れそうな場所を見つけようと、1時間ほど右往左往とする。
一カ所、大丈夫そうなところを見つけて、おそるおそる片足を踏み入れてみる。
足首、すね、と数センチずつ対岸を目指して、深みへ進んでみる。
「うん、大丈夫かもしれない」と、現状を無視した、都合のいい言葉が頭の中に浮かぶ。
いよいよ膝下に水がかかるかどうか、というあたりになった瞬間、「ドン!」という感覚と共に、片脚が水中の何者かに捕まれた。
その直後、体勢が狂い、完全にバランスを失ってしまう。
〈ぼくの行く手を阻んだ濁流。自然の怒りか気まぐれか〉
「あ、やばい」と思ったと同時に、ものすごい勢いで下半身が下流にもっていかれる。
気付いたら、ぼくの片足は水中に投げ出され、猛烈な速度で下流側に引きずられていた。
「うぉぉぉぉぉ.........」。
必死になって、浅い方向へ戻るべく上半身をよじり、叫び声にもならないうなり声をあげながら、全身の力を振り絞る。
流心に引きずり込まれたら、THE ENDだ。
十数秒の攻防戦のあと、3mほど流されていたが、何とか浅瀬にとどまり、全身ずぶ濡れは免れた。
ただ、胸から下はびしょ濡れになっている。
これではどうしようもない。
これだと上流に進めないのはもちろん、下流に行くのも不可能だ。
小屋に戻り、服を乾かし、体を温めないと。
そして、竜の怒りが収まるのをただ待つしかない。
〈ニュージーランドの小屋には必ず水場がある。湧き水や天水、沢の水など形態はさまざま。今回はすべての小屋が雨水タンクだったが、すべて処置なしで飲めた。汚染されていないこの国では、天水(雨水)は贅沢とされる〉
2〜3時間ごとに、様子を見に何度か川に降りてみるが、まったくダメ。
川の状況を確認するたび、確実に水量は減っているが、まだ濁流のまま。
午後、一度だけ川に入ってみるが、竜のエネルギーにはまったく勝てず、あえなく敗退。
結局、この日もここ「モカコエレ・ハット」に泊まることに。
停滞だ。
〈DAY 06〉
これまで動員したことのない
細部の筋肉にまで「全力を尽くせ」
と指示を送る。
6日目。曇りのち晴れ。
恐る恐る起床し、すぐに川の様子を確認する。
昨日からずっと雨は降っていないから、川の水はかなり減っているだろう。
でも、あの場所を歩いて渡れるかどうかは、確信はない。
やった。
竜は姿を消していた。
もちろん、この登山をはじめた初日に比べると水量はかなり多い。
だが、もうかなり源流近くまで来ていて、川自体が小さくなってきてるので、この先の遡行はこれまでの太い下流部よりも楽なはずだ。
もし、ここから下りて、エスケープルートを抜けるとしても丸2日かかる。
つまり撤退のための下山は、2日間ずっとこの増水の川を下り続けることを意味する。
地図によると、上流を目指せば2時間ほどの沢登りのあと、山頂へ向かう登山道がはじまることになっている。
判断は明らかだった。向かうは上だ。
しかし、川は簡単には通してはくれなかった。
足の裏、とくに親指の付け根にグッと力を入れて川底を踏みしめる。
足首、膝、もも、腰といった下半身の主要な部位はもちろん、これまで動員したことのない、細部の筋肉にまで「全力を尽くせ」と指示を送る。
こういう局面では、肉体だけでなく、集中力の維持も重要となってくる。
一瞬でも気を抜くと、大きな事故に直結する。
何度か流されそうになりながらも、難所をいくつもクリアし、やっとのことで、ついに登山口に辿り着く。
ここまで素晴らしい活躍を見せてくれた川歩き専用サンダルに、感謝の意を伝えながら脱いだ。
商品化の最終テストは合格。これで発売は決定だ。
ありがとう。
足への感謝の意を込めて、水気を丁寧に拭き取り、久々に登山靴を取り出して乾いた足を滑り込ませる。
〈5日かかって、ついに源流部の登山口へ到着。ここから標高差800m近くを一気に登る。その前にコケの絨毯の上で小休止。究極のマットレスだ〉
しかし、この日最大の難関は、〝登山道そのもの〟にあったのだ。
というか、登山道はなかったのだ。
山頂までのトレイルが完全に消えていたのである。
その上に、記録的な集中豪雨と嵐によって、数カ所の山肌が崩壊していたのだ。
コンパスとGPSを駆使しながら、なんとかルートを見つながら登る。
こういう状況では、「迷ったかな」と思ったら手遅れなことが多い。
もちろん、そうなったとしても滑落や大ケガをしない限りリカバリーは可能だが、時間と体力を大幅に失ってしまうのだ。
安易にそういうミスを繰り返していると、肉体はボロボロとなり、日没前に小屋に辿り着けないなどの、「事故」につながってしまう。
歩いているルートに少しでも違和感を感じたら、面倒がらずに立ち止まり、周りの地形を慎重に見ては、自分の位置を確認する。
そんなルートファインディングを何度も何度も反復し、両腕両脚をフル動員して、這いずるようにして、ひたすらに登った。
日没間際に何とか山頂そばの山小屋「テ・ランガアカプア・ハット」に到着したものの、予定の3倍近くの時間を費やしていた。
登山道が整備された、日本アルプスのトレイルなら、いつもコースタイムの2/3程度で歩けるのに。
傷だらけとなった両手を揉みながら見た、この日のラストを飾ってくれた荘厳な夕焼けを、ぼくは一生忘れないだろう。
〈登頂直後に出迎えてくれた圧巻の夕景。小屋の前で思わず、合掌しながらこの景色を味わう。頭の中では数時間前まで続いた激闘の沢登りのことが巡っていた〉
〈DAY 07〉
本当に帰れるのだろうか。
いや、絶対に帰還しないといけない。
祈らず、ただただ足を動かす。
7日目。
突然、気温はマイナスに。
いきなり寒波がやってきた。極寒だ。
昨日、小屋に到着するなり暖炉に火を起こし、まきをくべたのだが、夜明け前には火は消え、部屋はキンキンに冷え切っていた。
標高が一気に上がっただけでなく、季節外れの寒波が来ていたのだ。
すべてが凍りついていた。
この日、街にはなんと霜が降りたという。
〈最終日の夜明け。さあ、今日こそ絶対に家に帰るぞ、と静かに心に誓う〉
当初の予定では、もう自宅で温かい野菜スープをすすっているはずだったが、ぼくはまだ、山頂にある無人の山小屋にいて、氷点下の気温にブルブルと震えている。
明るくなってきたので外に出ると、黄金と朱の間の、カテゴライズ不可能な色に染まった神々しい朝焼けが燃え上がっていた。
〈すべての植物が共生状態にある奇跡の森「原始林」。地球上にわずかしか残されていない、人類の宝物だ〉
小屋の周りは、緑のグラデーションが眩しいコケ類と地衣類、神がかったような樹々たちが視界すべてを埋め尽くしていた。
ぼくを取り囲んでいたのは、太古からそこにあった原始林だった。
それは、今まで見たどんな森よりも美しかった。
その天然の神殿を前に体が震えたのは、感動のためか、武者震いなのかわからかなった。
ここから下山口までは、ひたすら下りとなる。
通常だと丸2日かかるのだが、今日1日で一気に駆け降りようと決める。
食料も底をつきかけていたので、これ以上、日程を延長したくなかったからだ。
何とか今日を最終日にしたい。
〈ここは東京都と同じ広さを誇る、原生林と巨大な山塊のど真ん中。踏み跡がない山道にはコケがビッシリ。これは人がほとんど歩かない証拠。これまで何人の登山者がここを歩いたのだろうか〉
だが甘くはなかった。登り同様に崩壊がひどく、登り以上に道が消えて、わからなくなっていた。
紙の地図、コンパス、GPS、 そしてこれまでの経験の蓄積と〝野生の勘〟など、自分が持つすべてをフル稼働させる。
肉体と頭もフル回転させ、使えるテクノロジーと能力、すべてをトップギアに入れないと、帰還できない気がした。
登山道のありかがわからなかったため、川歩きの数倍のレベルで 意識を集中させる必要があった。
足元から数10m先を凝視しては、時折100mほど先の遠くに目をやる。
自分のすぐ周辺と、遠方を交互に確認してのルート確認、という作業を繰り返す。
それでも、何度も道を見失ってしまう。
深い山の原生林で、自分たちの居場所がわからなくなることは遭難につながる。
だが、抵抗空しく、日没が来てしまった。
覚悟はしていたものの、食糧が尽きている状態で、漆黒の中を歩き続けないこの現実に直面すると、心臓がギュッと締め付けられるような感覚になる。
恐怖ではなく、極度の緊張といったところか。
ヘッドランプの小さな灯りだけを頼りに、原生林の中をひたすら歩く。
登山道がないので、歩くというよりは、両腕をも必要とするアクロバットな進軍となる。
樹々に揉みくちゃにされながら、傷だらけになりながら、真っ暗闇の危険な天然アスレチックスの中を数時間、徘徊する。
どんなに注意していても当然、日中以上に、自分がいる位置を見失い、完全ロストを何度も繰り返す。
それでも諦めず、ネガティブにならず、足を、手を、ひたすらに動かし続けるしかない。
今ここでもっとも頼りになるのは、体力以上に、意識、気持ちだ。
いや、体力の有無こそが、そういった集中力に直結していると言えるだろう。
〈深夜。ぼくのiPhoneでかろうじて撮影〉
それでもぼくの心は、最後まで高揚し続けていた。
体も、最後の最後まで高いパフォーマンスを見せてくれた。
初日からずっと、ぼくの背中を押し続けた高揚感は、気づかぬうちに、言語化不可能な大きな幸福感に変わっていた。
そして遂に、下山口に到着。
感無量の感情と同じくらい、安堵の気持ちが胸をいっぱいにした。
不思議と、踏破したことへの達成感はあまりなかった。
時計を見ると何と、深夜0時半。
つまり日付が変わり8日目に突入していたのだ。
結果この日は、15時間も歩き続けたことになる。
これは、ぼくの登山歴で最長の行動時間となった。
「次はあの山頂の小屋でのんびり連泊したいなあ」、「いや、あの河原の小屋に数日間滞在して、じっくりとマスを釣りたいかな」そんな夢想をしながら、ぼくは家路についた。
ガサガサの両手で、愛おしい我が体の節々をさすりながら、必ずまたここに戻ってきたいと、またこの森を、あの川を歩きたいと、心から思った。
〈これが最古クラスの「原始林」。この聖なる森を歩いていると、神聖で特別な気持ちになるのはぼくだけじゃないだろう。ありがとう、森の神よ〉