レコード会社プロデューサーの職を捨て、
巨大魚と冒険、そして真の自由を求めてニュージランドへ移住。
湖でサスティナブルな半自給自足の〝森の生活〟を営む男が
ずっと歩きたかった
〝川と原始林のロングトレイル〟へ挑む。
まず海側の川から入り、源流部まで遡行。
広大な山塊の最高峰に登頂し、原始林の最深部へ抜ける。
歩く者は年に10人もいないと言われる、
全長約80kmの、雄大かつ超マイナーな長距離登山道。
その7割が川歩きと沢登り、3割の山道もほとんどが消滅。
今回は、さらに複合的な悪状況が重なり、難易度が高まった。
▶︎ 文章&モデル:四角大輔|Daisuke YOSUMI
▶︎ 写真:山岳フォトグラファー加戸昭太郎|Shotaro KATO ▷instagram
▶︎ 協力:ニュージランド航空、ニュージランド政府観光局、冒険雑誌『WILDERNESS』
【前編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【前編】 ~ 水と森のロングトレイル、無常の世界 #01 ~
【中編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【中編】 ~ 水と...
【後編】川を遡り、山を越え、最古の森へ。7+1日間【後編】 ~ 水と...
これから登り詰める川が流れ込む、海と対峙し祈る。川を遡行する冒険前のいつもの儀式。
〈DAY 01〉
コレをやるために
オレはすべてを捨てて
ニュージーランドへ移住したんだ。
「こんな山旅がしたかったんだ!」
歩きながら、このフレーズを心の中で何度も繰り返した。
冒頭から告白しよう。
今回の冒険は、悪天候などさまざまな困難が立ちはだかった。
遭難してもおかしくなかった。
正直、危なかった。
数日前まで続いた大雨による増水。
濁流となった川を渡れず停滞。
エスケープルート(下山道)がない大自然の真ん中で見舞われた、記録的な集中豪雨。
完全崩壊していた山道と、難易度の高いルートファインディング。
深夜に森を這いずり回り、漆黒の闇での完全ロスト。
6日間の予定が、2日延びてしまったことによる食料問題。
それでも、ぼくはずっと幸せだった。
こんな〝ニュージーランドらしい釣り冒険〟をずっとしたかったからだ。
どんな局面に遭遇しても終始ずっと、言葉にできない高揚感に包まれていた。
そして、ぼくの肉体は想像以上の、最高の働きをしてくれた。
〈この国の多くのロングトレイルは牧場スタート。森を切り開いて作り出した人工的な自然環境ではあるが、ぼくはこの草原トレイルも好きだ〉
季節は晩秋。日本でいうと11月にあたる。
出発の日は幸運なことに大晴天でポカポカと暖かかった。
サポートタイツを脱いで、思い切って、サーフパンツと半袖だけになる。
行動前だから少し肌寒いけれど、風もなくこの外気温だと、歩き出したらすぐに暑くなるはずだ。
まずは広大な牧場をズンズン進む。
脚にも優しく、とても心地いい。
長い日数を歩き続ける、長距離登山のウォーミングアップにはもってこいだ。
2時間ほど歩くと、いよいよ川の中へ。
本当の冒険はここから始まる。
トレッキングブーツから、ぼくがプロデュースする『airista』の、超軽量・水中歩き専用ウェーディングサンダルに履き替える。
このサンダルはテストの最終段階にあり、今回の結果が良ければ発売が決まる(2016年現在発売中!)。
2日以上の川歩きではいつも、足首まで保護される『airista』の、ハイカットの川歩き専用ブーツにするが、今回は長期間ということもあり、さらなる軽量化をはかるべくこのサンダルをセレクト。
そして、この山旅では7割の期間、登山靴はバックパックの中で眠ることになる。
川遡上の負担を減らすため、迷わず選んだのは、ぼくが持つ最軽量のもの。
安心のゴアテックス内蔵のハイカットにも関わらず、片足わずか356gの『MERRELLl』最新の登山靴だ。
川に両脚を入れた瞬間、ずっと頭をよぎっていた不安が破裂した。
数日前まで降り続いた大雨の余韻が、川にはまだたっぷりと残っていたからだ。
実は出発寸前まで、ロケを敢行するかどうか迷っていた。
そう、増水が怖かったのである。
もともと水量が多いことで有名な川。
そこに多量の雨水が加わることで、その水流がもたらす圧力は見た目以上に強かった。
ただ、遡上はまったく不可能ではないと判断。
この先2日間は、エスケープルート(逃げ道)があるので、もしこの先ダメだったら撤退しよう、と心に言い聞かせる。
〈ニュージーランドの登山道ではおなじみの、ルートを示すこのオレンジのマーク。だが、今回はほとんどなかった〉
だが、思うように進めない。
たとえ浅いところでも、水圧に足を取られて速度を上げられない。
水量が通常であれば、川を渡ることのできる浅いポイントがもっとあるのだが、ない。なるべく上半身を水に濡らしたくないため、歩いて渡れる場所を、時間をかけて探し回らないといけない。
普段ならばバシャバシャと歩ける場所も、水深がありすぎて入れないため、岩壁を登って平行移動したり、森の中に入って藪こぎ(木々や植物が密集した道のない所を四つん這いになって通り抜けること)をせざる得ないことが多発。
予定の半分以下の距離しか稼げない。
その上、深い藪こぎを強いられたさい、道に迷ってしまうという大ミスを犯してしまう。
結局初日は、宿泊予定の「コランガフォークス・ハット」に辿りつけないばかりか、1つ手前の「ニカウ・ハット」にも、日没寸前での到着となった。
山小屋に着く少し前から日が陰りはじめ、気温が急低下。
〈両脚に加えて、両腕をも必要とする「ほふく前進」のような藪こぎをいったいどれほど続けただろうか〉
体温はまだ失っていないものの、増水した川の中を進んできために腰上までズブ濡れだったぼくは、体を暖めることを優先すべく、すぐさま小屋の暖炉に向かった。
ラッキーなことに、ここでの滞在が3日目というハンターの二人組が、ぼくの様子を見て「暖炉は俺たちに任せて、すぐに着替えて何か食べろ」と言ってくれた。
彼らは、小屋に着く1時間ほど前に、森からこつぜんと現れたのだ。
〈ハンターのひとりが手に持つのは、仕留めたばかりの鹿の心臓。まだ温かく〝命の存在〟を感じた〉
ぼくにとっては初めてのルートで、遅れていた上に太陽も傾いていたこともあり、ホッとして思わず笑顔になった。
「この時期にまさか釣り人に会うとは!」と、彼らも嬉しかったようで、しゃべりながらここまで歩いてきた。
彼らは毎年この時期、この場所に鹿のハンティングに来てるということで、ここの森と川にかなり精通していた。
彼らが到着した日は、増水は今よりもひどく、ぼくの倍近くの丸1日かけて、日没後にやっと、たどりついたという。
そしてこの時期に、こんなことになるのは初めとのこと。
〈今回の山旅では、雨と川歩きで濡れた衣類をまず乾かすことが、食事の次に重要な日課となった〉
外に出ると、あたりは真っ暗闇となっていた。空には美しい星が瞬いている。
「よし、明日の天気は期待できそうだ」。
無意識のうちに、祈るような気持ちになっていた。
小屋に戻って暖炉にあたりながら、彼らのハンティングの武勇伝を聞いていると、すぐにウトウトとしてしまった。
〈かなりのマイナールートなため、山小屋は3〜6名収容と、どれも最小タイプだった〉
〈DAY 02〉
高圧力の冷たい川に逆らい、
深い原生林の斜面を藪こぎし、
ひたすら前進する。
2日目の朝。
空は曇っていた。
お礼を言って出発しようとすると、片腕のハンターが心配そうな顔で寄ってきた。
地図を見ながら、この先の難所を丁寧に教えてくれた。
そういえば昨夜、ぼくが踏破しようとしている全ルートを説明した時、ものすごく驚いた顔をしていたことを思い出した。
そして彼は「これ本当に、すべて歩くのか?」と、不安そうな顔をして聞いてきた。
〈左腕を事故で失ったというハンター。とにかく優しい男だった〉
「必ずまた会おう」と強い握手を交わし、ぼくらは別れた。
歩きはじめてしばらくしても、彼の温かい笑顔と、ハンター特有のガサガサで分厚い手のひらの余韻が、ぼくの右手にまだ残っている。
心のいちばん奥がジーンとしてくる。
ちなみにこの日以降、最終日まで人間に会うことはなかった。
〈増水で川の中を歩けないため、岩壁にへばり付いて進む。それでもこの頃は、アクロバティックに壁をクリアする行為を無邪気に楽しんでいた〉
〈上流部に牧場や家屋があるところでは飲料不可。そこを越えたあとは、上質な森のミネラルウォーターが飲み放題となる〉
この日は、初日のさらに数倍の苦業が待っていた。
上流に向かい川幅が狭くなるにつれ、腰以上の深さの場所が多くなる。
両岸がより切り立ってくるし、大岩が連続して現れるし、前進速度はさらにダウンすることに。
完全防水のインナーバッグ仕込み済みの『Zpacks』社の超軽量バックパック「ArcBlast」を浮き袋にして、泳いで渡らないといけない場所も出てくる。
〈あとで写真を見て気付いたのだが、こんな状況なのになぜか笑顔のぼく...〉
午後になって、昨日の星空は幻だったのではないかと思うほどの、豪雨が襲いかかってきた。
山の中だと、雨の中を歩くことはまったく問題ないが、ぼくがいる場所は川の中。
「これ以上、川を暴れさせるのはやめてくれ!」
無駄とわかっていながらも思わず天に向かって心の中で叫ぶ。
下半身の全筋力を動員して、深場を渡っては崖に貼りつく。
次にエネルギーを上半身に移し、壁を這い上っては森に入って藪こぎ。
そんな全身運動をノロノロと、幾度となく繰り返していると、やっとのことで小屋にたどりついたのである。
本来は初日に泊まる予定だった「コランガフォークス・ハット」。
なんと、ここまで丸2日間もかかったことになる。
寝袋に入る前に夜空を見上げると、先ほどの雨が嘘のような満天の星空がぼくを見下ろしていた。
「よし、明日こそはバッチリだ」と、無理やり自分に言い聞かせるように、小さく独りごちた。
〈半径約40kn以内に街はない。そんな原野の上に、星の大パノラマが輝く〉